しょの野望

しょの野望

ブログの説明を入力します。

はじめに

かつて東京の勤務医は、大学病院の低い本給を週1〜2日の外勤で補い、勤務医のまま世帯年収1,500万〜2,000万円を確保できました。このモデルは3つの前提の上に乗っています。①外勤枠が潤沢にあること、②住宅ローン金利がほぼゼロであること、③物価が動かないこと。2026年8月時点で、3つとも崩れました。

以下、都心勤務医の家計に何が起きたかを確認し、そのうえで「だから医師は地方へ流れ、偏在は自然解消する」という筋書きを検証します。結論は、分散は既に起きている。しかし「解消」は起きない、です。


1. 外勤の縮小は、統計にも出ている

2024年4月施行の働き方改革は上限を年960時間(A水準)/1,860時間(B・連携B・C水準)に設定しました。家計に効いたのは上限そのものより、副業先の労働時間が「個人に適用される上限」の判定では通算されるという設計です。外勤先の当直時間が主たる勤務先の枠を食う。

  • 週60時間以上の勤務医は39.2%(2016年)→15.0%(2025年10月調査、n=13,205)。平均週労働時間は50.9→47.8時間(大学病院は52.2時間と依然長い)
  • 医師の宿日直許可件数は2020年144件→2023年5,173件と駆け込み取得がピーク。許可の有無が外勤市場を二分した
  • 四病協調査(2025年、回答818病院)では、派遣を受け入れる側の21.3%が中止・縮減の連絡を受けた(前回比+12ポイント)。71.0%が宿日直体制の維持を困難と回答

2. 医師は「賃上げ」の外側にいる

第25回医療経済実態調査(2024年度、2025年11月公表)による一般病院の常勤医師1人あたり給料年額は、全体1,484.6万円(+0.2%)、医療法人立1,576.7万円(▲1.1%)、国立=大学病院を含む1,290.0万円(▲0.3%)

同じ時期、日本全体の一般労働者の名目賃金は**+3.1%**、直近の毎月勤労統計では名目+3.4%・実質+1.6%とプラスに転じています。

世の中が賃上げする局面で、勤務医の本務給与だけが横ばい〜名目マイナス。 診療報酬という公定価格の下では、病院は物価に合わせて給与を上げられません。しかもこの数字は外勤収入を含まない。国立系の1,290万円という水準こそ、「低い本給を外勤で補う」設計の裏返しです。その補填部分が今、細っている。


3. 生活コスト側で起きたこと

住宅:2026年上半期の新築マンション平均価格は東京23区1億4,249万円(前年同期比+9.1%)、首都圏1億135万円(+13.1%)。23区は2023年上半期の1億1,483万円から3年で約24%上昇。分譲マンション賃料(23区)も2年で**+18.0%**(東京カンテイ、4,336→5,118円/㎡)。

注記:CPIの民営家賃は+0.1%にすぎません。新規契約する人にだけ+18%が一括で降ってくるのが現局面です。なお23区の中古は2026年6月に26か月ぶりの前月比マイナス。相場自体のピークアウトの兆しもあり、断定は禁物です。

金利:政策金利は2026年6月に0.75%→1.0%へ。7月会合は据え置きですが、高田委員が1.25%への引き上げ議案を提出し否決されています。短期プライムレートは15年以上1.475%で固定されていたものが、2024年9月以降**2.125%**まで上昇。

「4%」は3層に分けて理解する必要があります。

  実勢
変動金利(利用者の75.0%) 実際の借入金利は**0.5%超〜1.0%以下が53.4%**で最多。4%は遠い
フラット35 最頻3.29%、金利幅3.29〜5.57%。上限側は既に4%超
超長期国債 25年4.024%/30年4.002%/40年4.006%(2026年8月13日)。既に到達済み

金融機関が30年の資金を4%で調達する世界で、30年の住宅ローンが1%未満で提供され続ける理由はありません。 4%は予言ではなく、既に債券市場についている価格です。

家計への落とし込み(筆者試算、35年元利均等・概算)。30代後半、本務1,300万円+外勤300万円、借入1億円のケース:

  従来 現在
額面 → 手取り 1,600万円 → 約1,081万円 1,300万円 → 約912万円
金利 → 年間返済 0.7% → 322万円 3.29% → 481万円
返済後に残る額 約759万円 約431万円

年328万円、月約27万円の余力が消える。 減収が手取りで169万円、金利差が159万円。ここに食料+3.2%と私立中学の年間学習費156万円(公立の約2.9倍)が乗ります。


4. ただし「地方は高い」は単純ではない

常勤医師求人13,965件(2026年6月、提示年収下限)の順位は、北海道1,456万円/高知1,451万円/群馬1,394万円(5位)——一方で東京1,359万円(11位)、埼玉1,340万円(18位)、千葉1,325万円(24位)、最下位は島根1,108万円。

つまり**「都市=安い/地方=高い」の傾斜は成立しておらず、首都圏近郊が突出して高い事実もない**。最大格差は1.31倍で、生活を根こそぎ移すには小さい。

若手医師を動かしているのは「地方の高給」ではなく「都心の生活破綻」です。 押し出し要因であって引き寄せ要因ではない。ここを取り違えると、求人条件を改善すれば医師が来るという誤った処方箋になります。


5. 検証:「人口が減るから偏在は自然解消」は成り立つか

① 需要は頭数では測れない。 一人あたり国民医療費は75歳以上95.4万円 vs 65歳未満21.8万円で約4.4倍。総人口が2040年に10.6%減っても、年齢構成のシフトで容易に相殺されます。65歳以上のピークは2043年、75歳以上は2055年。

② 機能ごとにピークが正反対。 外来は全国2025年ピークで、330の二次医療圏中224圏(68%)が2020年までに既に通過済み。一方、訪問看護利用者数は198医療圏で2040年以降がピーク。85歳以上人口は2020→2040年で+42.2%、その救急搬送は+75%、訪問診療需要は+62%。同じ地方の医療圏で外来の縮小と在宅の急増が同時進行します。

③ 供給の減少のほうが速い。 人口5万人未満の二次医療圏では診療所数が10年で中央値▲2.5%。厚労省が2024年12月のパッケージで名指しで対象にしたのは**「人口減少より医療機関の減少スピードが速い地域」(約100〜109区域)。行き着く先は均衡ではなく医療空白**です。

④ 医師の年齢構成という時限装置。 診療所を主たる従事先とする医師のうち40歳未満は約6%、平均年齢60.1歳。需要は緩やかに減る一方、供給は引退で階段状に消えます。

⑤ 医師を4万人増やしても解消しなかった実績。 医師総数は2012年288,850人→2024年347,772人。それでも医師少数県16県中の目標達成は6県(38%)、医師少数区域105区域中43区域(41%)。偏在指標は東京358.6 vs 青森194.4で1.84倍。人口10万対の格差は1.86倍→1.83倍とわずかに縮んだものの、その相当部分は分母の人口が減った効果です。

⑥ 診療科偏在は逆行。 医師総数が2年で+1.3%増える中、外科系▲2.7%、産婦人科▲1.2%、眼科▲0.9%と絶対数で減少。市場原理が働くほど負荷の重い科から人が抜けます。

⑦ 最後に効くのは担い手不足。 生産年齢人口は2040年までに**▲17.2%と総人口の1.6倍の速さで縮む一方、必要な医療・福祉就業者は総就業者の18〜20%**(2018年は約12%)。「地方は人が減るから医療も縮小すればいい」は、縮小した先に医療を支える人がいるという前提を置いています。その前提が最初に崩れます。


6. 国は「自然解消」を前提にしていない

市場が解決するなら不要なはずの規制が、相次いで導入されました。

  • 外来医師過多区域での新規開業規制(2026年4月〜)。候補は東京都5医療圏(区中央部・区西部・区西南部・区南部・区西北部)、大阪市、京都・乙訓、神戸、福岡・糸島。届出義務と夜間休日救急・在宅等の提供要請があり、従わなければ勧告・公表を経て保険医療機関の指定期間が6年→3年(または2年)に短縮都心での開業はもう自由ではありません。
  • 医学部定員の削減。2027年度から医師多数県の臨時定員を原則2割減、2028年度以降は他の31都道府県も検討。
  • 管理者要件。医師少数区域での勤務経験が6か月→1年以上に。
  • 医師本人への特別手当は2028年度中開始予定で金額未定。財源は「給付費全体が増えない形で確保」——賃金上乗せの原資に制度的な天井がある以上、純粋な市場調整は成立しません。

ただし厚労省は「若手医師については地域偏在が縮小してきている」と公式に評価しています。その主因は市場ではなく、総定員の19.8%(1,837人)まで拡大した地域枠という規制的措置である可能性が高い。


おわりに:起きるのは「解消」ではなく「組み替え」

起きていること——外勤縮小と生活コスト高騰による都心勤務医の可処分キャッシュの毀損(試算で年328万円)、若手の地方分散、外来需要の68%の医療圏でのピーク通過。

起きないこと——需要縮小による偏在の自然解消(供給の減少が速く、行き着く先は空白)、診療科偏在の是正、市場による賃金調整(公定価格が原資の天井)。

「東京にいれば安心」も「地方に行けば高給」も、どちらも既に古い地図です。実際に開いている選択肢は3つに近い。

  1. 都心に残り、外勤に依存しない収入構造をつくる——高度専門性、研究・企業連携、遠隔読影。ただし開業という出口は2026年4月以降、規制対象になった
  2. 地方中核都市・準都市部へ移り、生活コスト差で可処分所得を最大化する——年収差1.3倍を狙うのではなく、住居費と金利の差で年300万円を取り戻す発想
  3. 増える需要側に張る——在宅、高齢者救急、老年内科。198医療圏で2040年以降にピークが来る領域は、人口減少下でも縮まない

偏在というマクロな変化は、行政の成果としてではなく、医師一人ひとりが生活者としての合理性を追求した結果として動きます。ただしその合理性が向かう先は「地方への均等な再配置」ではなく、都市部への集約と、そこから漏れた地域の医療空白である可能性が高い。若手医師が選ぶべきは勤務地ではありません。移った先の病院が、10年後に集約される側にいるのか、消える側にいるのかです。同じ「地方」でも、症例と人手が集まる拠点と、静かに撤退していく病院に分かれます。