いつも画面に彼女が映ると、その傍らにウエルッシュ・コーギーの姿がちらちらする。
彼女はこの犬をずっと飼ってきており、絵本でも大活躍させているらしい。
ウエルッシュ・コーギーは思いのほかころころして、いいもの食べてそうだった。
可愛くて仕方がないのだろう。


彼女は結婚して子供を数人もうけたが、夫とは早いうちに離婚している。
一人の息子が近くに住み、庭仕事や買い物をしてあげているようだ。
彼女はボストンの名家に生まれたが、社交界などは嫌いで、牛をプレゼントしてもらい、世話をするほうを好んだという。
「人付き合いが苦手なの。わがままなのかしらね」
静かにそう語る様子は、山奥に引きこもって超然としている老人の姿ではなく、一人の悩める人間の姿だと感じた。


一年に二度、彼女の絵本のファンに庭を公開する日がある。
いい年のおばさんが、何十年もこの本が好きだったという場面もあった。
彼女は、「それはうれしいわ」とにこりともせず言う。
その後、庭の芝生の上で、彼女が5,6歳の女の子に絵本を読んでいた。
彼女の表情はにこりともしていないが、とても幸せそうだった。
ずっと昔から子供たちにこうしてきたのだろう。


時々、彼女はグラハム・ベルの話やエジソンの話をする。
グラハム・ベルの庭先に咲く花を見て「自分もこんな花を咲かす人間になろうって決めたの」
また別の場面では、「エジソンはえらいわね」
そんなわかりきったような話は今さらするまでもないのだが、彼女はそんな次代のすぐ後ろに生きてきたのだから、本当くさい。
誰も昔話でしか知らないことを、実際に見て経験している。
老人の重みとは、その重ねてきた年月そのものにある。


彼女が死ねばこの庭もなくなるんだろうと思いながらテレビを見ていた。
ぼくのその問いに彼女はこう言った。
「庭も自然に返そうとしているの」
それはそうだ。
彼女は、誰のためでもなく自分のために庭を作っているのだから。
彼女が言った忘れな草のエピソード。
「あなたは何歳なの?」
「知らない。けれども、今こんな風に生きている」
(かなり端折っているので、正確ではない)


かなり我儘なおばあさんだが、こんな我儘ができるなんて羨ましい。

forgetmenot