仕事が速く終わり、予定より早く空港に着いた。
もう一便前の飛行機に乗れるかもしれないので、カウンターでキャンセル待ちの手続きをした。
22番目だった。
この飛行機の次の最初に予定していた便までは1時間以上ある。
2泊3日の出張でとても疲れていたので、ぜひ早めの飛行機に乗りたかった。
しばらく経って番号が呼ばれはじめ、20番まで呼ばれた。
惜しいなあと思っていたら、来ない人がいるらしく、21番の人まで呼ばれた。
しばらく自分の22番が呼ばれはしないかと、どきどきしながら次のアナウンスを待った。
やがて、手続きは終了したというアナウンスが流れた。
結果だけ見れば、次の飛行機に搭乗する予定は変わらないのだ。
それに、最初の予定通り、大阪の夜景を見ながら帰ることができるから、まあいいやと思った。
ちょうどおなかも空いていたし、ご飯をゆっくり食べる時間もできたしね。
でも、でも、なんとしても残念な気持は消えなかった。
最初のチケット予約の段階で、早めの便にしていればよかったのかもしれない。
同行していた人が途中で寄り道をせずに空港まで来ていれば間に合ったかもしれない。
とても疲れていることは確かだった。
それにしても、自分でも、うじうじとしたつまらない心の動きだなあと思った。
だから、飛行機が「予定通り」の便に乗るいい面として、ご飯を食べて、大阪の夜景を見ることができてよかったのだと、もう一度思い返した。


空港の鯛飯は思ったほどおいしくはなかったが、空腹は満たされた。
飛行機の小さな窓から見える夕日と空は素晴らしかった。
やがて、飛行機は雲の上にさしかかり、雲はどこまでも眼下に広がっていた。
今日最後の光を受けた雲の凹凸が、神様の造詣としか思えないほど美しい陰影に富んでいた。
アテンダントに尋ねると、高度は5100mということだった。
大阪の夜景は、期待したほどではなかった。
着陸がもうすぐで、高度が低すぎたのかもしれない。
それでも、ずっと窓の外を見ながら、たくさんの光は、それぞれ人々が生きている光なのだと思った。
着陸して、頭が痛くなってきて、体調はひどかった。
それでも、小さな楽しい気持ちが心の真ん中にあった。


午後9時に家にたどり着き、すぐにサッカーをするために出て行った。