現在、「ローマ人の物語」を読んでいる。
この本を読むにつれ、ローマ文明の奥深さを実感する。
なかでも感心するのが、敗者を許すことである。
それは、個人においては、戦争に敗れた指揮官も処罰は行われないことに代表される。
一度や二度の失敗を責めていては、優秀な人材がいなくなるし、もし、その人物が職務に不適であれば、二度とその職務を与えなければよいのである。
また、対国家・民族においては、一方的に搾取や破壊などの行為はほとんど行わず、ローマの覇権を認めれば、風習でも宗教でも固有のものが許される。
当時ローマと敵対していたオリエント諸国が、戦争に敗れた指揮官は処刑され、敗れた国には徹底して搾取や破壊を行ったことからすると対極的である。
そういうオリエントとならんで、ローマにとって脅威であったのは、現在のドイツ地域に住むゲルマン民族である。
当時のオリエントはローマにも引けを取らない先進地域であったが、ゲルマン民族の住む地域は後進地帯であった。
統一的政府はなく、各部族が各個の地域で狩猟を行って生活をしていた。
読書が進むにつれ、ゲルマン民族は奥深い森に住む不気味な存在であるという印象を強くする。
そして、結局は一度もローマの恒常的支配は受けなかった。
第二次世界大戦時のイギリス首相チャーチルは、誇らしげにこういう趣旨のことを言ったそうだ。
ローマに征服された時からイギリスの文明の歴史が始まる、敵国ドイツはローマの支配を受けなかった野蛮な地域である。
その後、東西に分かれた西ローマ帝国の方を滅ぼしたのはゲルマン民族である。
10世紀には、ドイツ地域は神聖ローマ帝国となり、かつてのローマ帝国の正統後継者を名乗る。
その時のローマ皇帝は、世俗世界におけるキリスト教の保護者に役割を変えていたが、ゲルマン民族もやはりローマブランドは欲しかったのだろうかと思うとおもしろい。
ひるがえって、現在のドイツは、世界でも指折りの先進国である。
世界の中で工業や経済に占める地位は大きく、環境や社会福祉の面でも先進的な取り組みをしている。
そういう彼らが、かつては長髪に髭を生やした姿で、先進国ローマにたてついていたことを想像すると何となく笑ってしまう。

今年は日本におけるドイツ年だそうで、ドイツに関する様々なイベントが行われたり、美術品などがやってくるそうだ。