産経新聞記者 阿比留瑠比氏のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」:イザ! に産経新聞記者 原川氏が取材・テキスト化した3月27日の参院内閣委員会での自民党の有村治子氏の質問が取り上げられています。

 前編・映画「靖国」上映中止と参院内閣委での有村議員の質問

 中編・映画「靖国」上映中止と参院内閣委での有村議員の質問

 後編・映画「靖国」上映中止と参院内閣委での有村議員の質問

まとめは

特定アジアニュース 映画「靖国」は肖像権無視で撮られ、文化庁のいい加減な選考で助成金を貰った。

を参照ください。

 3月27日の参院内閣委員会での自民党の有村治子氏の模様はこちら にある映像でも見ることができます。ビデオ開始後39分37秒あたりからが該当箇所です。

4月4日の朝日新聞にて李纓監督が中国中央電視台(CCTV)でドキュメンタリー制作に携わった後、日本の大学に留学されたと書いてありました。しかも朝日新聞記者との一問一答の記事内に記載であって略歴等の紹介欄ではない。

・・・少なくとも私がテレビを見た限りでは李纓監督の略歴紹介の際には中国での出身地や出身大学、来日した年、映画監督としての歩みぐらいでした。なんで中国での職歴(国営中央テレビでディレクターとしてドキュメンタリーを制作していた事)は紹介されないのでしょうか?

映像関連での留学と思いきや、留学先は東京外国語大学。しかも文化庁の海外招聘芸術家研究員として日本に留学!?※朝日新聞では「89年に就学生として来日。(略)東京外大などでも学んだ」とある。

だけど今回の件、どこかで見たことがある感じがする・・・・・( ゚д゚)ハッ! これ だ!

(enjoyKorea関連記事:氏名が英語表記でわかりにくかったが、フランスの番組なのに韓国人と中国人が7人も関わっているじゃねえか )


以下いろんなところから拾ってきた李纓監督の略歴。

1963年・・・中国・広東省生まれ[1]
1984年・・・中国中央電視台のディレクターとしてドキュメンタリーを制作[1] ディレクターーを5年ほど勤める。[3](1)

1989年・・・文化庁の海外招聘芸術家研究員として日本留学[1] 来日して皿洗いや運送会社勤務を続け、1999年にようやく最初の作品を完成させた[2]

1993年・・・日本映画の研究の傍ら、プロデューサー張雲暉とともにテレビ映画製作プロダクション龍影を設立[1]
1999年・・・映画デビュー作『2H』(1999年ベルリン映画祭NETPAC賞受賞※最優秀アジア賞、香港国際映画祭国際批評家連盟賞受賞)[1]※製作年度1999年

2001年・・・第二作劇映画『飛呀飛(フェイ ヤ フェイ)』(2001年度ベルリン映画祭へ出品)[1]

2003年・・・記録映画『味』(原題:DREAM CUISINE)(マルセイユ国際映画祭エスペランス賞受賞)※製作年度2003年、NHK/龍影[4]

2007年・・・劇/記録映画『モナリザ』(フランス・アミアン国際映画祭審査員大賞受賞、スイス・シネマ/テレビフェスティバルでTitra-Film SA Award受賞)※NHK/中国映画チャンネル/龍影[4]

       『靖国 UASUKUNI』※製作年度2007年[4]


2001年12月放送 NHKハイビジョンスペシャル『北京映画学院夢物語 』(日本放送文化基金賞テレビドキュメンタリー番組賞受賞、ATPドキュメンタリー優秀賞受賞)など日本のテレビ番組を数多く製作[4]


主な引用先

[1] アート番組「Edge」2002年2月出演者プロフィール、

[2]雑誌『映画秘宝』08年5月号:映画『靖国』の監督李纓氏へのインタビュー、

[3]すばる2001年1月号今月の人(1)(2)(3)

[4] 映画靖国 YASUKUNI公式HP 監督プロフィール


 一応書いておきますがNHKはかつて平成2年(1990年)の北京アジア大会の際に中国と共同出資してホテル事業を行っていました(国会で取り上げられた平成13年に合弁事業を解消。現在はNHK子会社も含めてホテル事業からは撤退。)。中国共産党とNHKは仲良しなのは間違いない。

 さらにNHKとは他に財団法人放送文化基金 がいろいろな名目で助成金を払い続けている。・・・っお!なんと財団法人放送文化基金ですか!ここって日本放送文化基金賞表彰してる団体ですぞ!まぁNHKがかつて千代田区に所有していた東京放送会館の土地・建物の売却代金の一部で設立された団体だから・・・。

 簡単に集めたけど李纓氏は中国にいる時は中国中央電視台、日本では(中国中央電視台と関係のある)NHKと関係があり、日本での評価はNHKやそこと関連する財団法人が関係していることがはっきりしましたね。また、来日した時から文化庁と縁もあるようです。


 氏は中国中央電視台時代は『とりわけチベットを巡るドキュメンタリーに執念を燃やした。』[3](1)そうで1988年のチベット騒乱蜂起の時には現地に滞在していたそうで、その時の事を[3](1)のリンク先で述べています。

・・・・・どのような感覚の人か、その一部ですが判ってもらえたでしょうか?

 とりあえず映画料金割引が利用できる映画館で上映があるなら一度見に行って確かめてみては?