照りチキタマゴかハムトマト。
どちらか一つしか選べない。
そんな状況でした。
今、思い返してみても、
あんなに難しい判断を強いられることは、そうそうありません。
だって、
照りチキタマゴとハムトマトですよ。
想像してみてください。
この二つが並んでいるところを。
私には、どちらか一つなんて到底選べるはずもありませんでした。
しかし選ばなければならないのです。
大人になればそういう出来事にわんさかと出くわします。
だから、私は選びました。
照りチキタマゴでした。
それを手に取った後、
私は、ハムトマトを見ることが出来ませんでした。
罪悪感だとか、そんな陳腐な感情を抱いたわけではありません。
ハムトマトとの楽しかった日々を思い出していたのです。
それはそれはとても素晴らしい日々でした。
この世の幸福の全てはここにあるのだと、そう思っていたほどです。
それでも、私は照りチキタマゴを選びました。
ハムトマトとの幸福な時間に少しマンネリを感じていたのかもしれません。
あれほどの関係だったのに何故?
と、これを裏切りだと感じる人もいるでしょう。
確かに、これは立派な裏切りだと思います。
私の心の弱さが生んだ出来事です。
しかし、照りチキタマゴとのこれからを思うと、
私の手は自然とそちらに伸びていました。
無意識の内といって差し支えないと思います。
事実、手に取った瞬間を全く覚えていないのですから。
それほどに照りチキタマゴが魅力的だったのです。
だから私は悪くないと、
そんなことを言いたいわけではありませんが、
人の心は脆く、移ろい易いもので、
時に悪魔に心を奪われ、抗うすべもなく、
為されるがままになってしまうこともあるということです。
ハムトマトとのことはありましたが、
それでも、私のした選択は間違っていなかったと思っていました。
この時までは。
話はこれで終わらなかったのです。
それは、照りチキタマゴを口に含んだ瞬間起こりました。
親子ではなかったのです。
いや、遠い意味では親子ではあったのですが、
親子ではなかったのです。
君は一体、何を言っとるんだ。
と、お叱りの声が聞こえてきそうですが、
考えてもみてください。
照りチキタマゴとは、
照り焼きにしたチキンとタマゴとのハーモニーを楽しむものです。
それはチキンとタマゴの親子関係が成す奇跡といっていいでしょう。
それが親子ではなかったというのです。
あるべきはずのタマゴがそこになかったのです。
変わりにあったのはマヨネーズ。
そうです。
照りチキタマゴではなく照りチキマヨだったのです。
その事実を知った時私は愕然としました。
因果応報とはまさにこういうことを言うのでしょう。
私が、並べられた二つの存在に目が眩んでしまい、
理性を失って冷静な思考が出来ず、
あろうことか裏切りとも呼べる行いを犯してしまったが故に起きた悲劇。
ただ、今にして思うと、
私は、初めから試されていたのではないか、
そんなふうにも思います。
本当に大切なものを見失っていた私に、
照りチキマヨとハムトマトが自らを犠牲にして、
私を試したのではないだろうかと、
そう思うのです。
この出来事は私の心に深く刻みこまれました。
これからは、もうこんな愚かな過ちを繰り返すことはないでしょう。
そんな私に与えられた次なる選択は、
ハンバーグかチキンカツ。
はてさて、一体どうしたものやら。
