このtourは私にとっても大変特別なものとなった。
特に東北ライブハウス大作戦から誕生したライブハウスで健さんのライブを見ることが出来て、さらにずっと実現したかった「東北へ行く」という想いが実現出来た。
初めてこの楽曲がライブで披露されたのが4月のCOMING KOBE。私が初めて聴いたのは5月のVIVA LA ROCKであった。
この時はまだ曲の全貌もわからないままで、「はやくリリースされないかな」位にしか思っていなかったが、私が初めてライブで聴いて間もない5月7日、シングル「I Won't Turn Off My Radio」 のリリースとレコ発ツアーがアナウンスされ、
そのツアーで廻るライブハウスの中に「石巻BLUE RESISTANCE」と「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」の名前が挙げられていた。
この2つのライブハウスは、言わずと知れた「東北ライブハウス大作戦」から誕生したライブハウスとして知られており、私ももちろん知っていた。
(もう1つのライブハウス、大船渡LIVEHOUSEFREAKSは区画整理事業の為、現在はプレハブ商店街へ移転しており、今回は宮古から石巻に向かう途中で立ち寄らせていただくにとどまった。いつかライブで来てみたいものだ。)
しかしながら、実際に東北ライブハウス大作戦から誕生したライブハウスはおろか、東北に足を運んだことがなかった。
「百聞は一見に如かず」
東日本大震災以降、ずっと現地に足を運びたい、この目で現実をしっかり見たい、そう思ってはいたが、ここ何年かは諸事情により自由に動き回ることが出来ず、時間ばかりが過ぎていき、気付けばあっという間に震災から4年が経ってしまっていた。
震災、原発、東北、復興。
あの未曾有の大震災から、このワードを聞かない日はないのではないだろうか。
この短い言葉たちはそう簡単に説明できることではない。
実際にどういう出来事が起きて、その地に生きる人たちがどういう生活をして、どういう思いを持ってるのか。
そこの根幹を知るには、現地に行き、現実を見る、これが一番だと考えていた。
でないと、上述したワードをただ口先だけ並べて語っても、ただの薄っぺらい机上の空論になってしまう。
そうなるのは、私の性格上とても嫌だった。
そんなこんなで、やっと自由になり、さらにこのタイミングで大好きなKenBandのツアー発表。
「絶対行く!!」
そう心に決めるまで一瞬だった。
そこから、チケット争奪戦をくぐり抜け、5月30日には石巻BLUE RESISTANCEまで片道4時間かけて店頭へチケットを買いに行き、
(偶然にも、この日は震災で甚大な被害を受けた石巻と仙台を結ぶJR仙石線が全線開通した日であった。復興への第一歩を踏み出す記念すべき日。この日に石巻に足を運べたことがとても光栄であった。)
6月にはラジオで初めてお披露目され、MVで曲の全貌が明らかになり、涙が出るほどの衝撃を受けたことは忘れられない。
そして7月に入り、ついにリリース、健さんもラジオに毎日のように出演、そして歴史的な出来事であったミュージックステーションへの出演。
こんな感動を重ねに重ねて、ついに7月16日、I won't turn off my radio tourがスタートした。
どのライブのレポートもセットリストも最高に良くて、東北でのライブが楽しみでならなかった。
そして待ちに待った東北ツアー。
行程としては4日間。
1日目に石巻の「川開き祭り」に行き、そのまま車で岩手県宮古市へ。
2日目に宮古市にある「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」でのKen Bandのライブに参戦。
3日目に石巻市に戻り「BLUE RESISTANCE」でのKen Bandのライブに参戦。
4日目に仙台から帰路に。
という流れであった。
石巻で行われた「川開き祭り」での出来事はまた別でまとめたい。
このとき、ものすごく尽力いただいた山形在住のお兄さんがいらっしゃるのだが、
私のこの無茶ぶり行程に同行いただくこととなり、結果、たくさんの場所を案内いただいた。
陸前高田の一本松、大船渡商店街、南三陸の防災庁舎…
これについても、また別でまとめたい。
本当に感謝しかない。ありがとうございます。
岩手県宮古市は岩手の盛岡から車を走らせ約2時間という陸の孤島。
そこで見た街は、穏やかな港町。
どこまでが復興か、と言われたら難しいが、事前に復興も比較的進んでいると聞いていた。
震災直後にpower stock in miyako が開催された魚菜市場も活気を取り戻していたし、所々更地が点在してはいるものの、「街」の姿を取り戻している印象だった。
さらに浄土ヶ浜にも立ち寄った。私たちが到着する直前に、今回の東北ツアーの対バンWANIMAがタッチの差で来ていたようだったが、寄ったときには既にWANIMAは居なかった…。
スワンボートギコギコしながらかっぱえびせんが大好物のウミネコにかっぱえびせんを餌付けしながら戯れてなかなか楽しかった。
KLUB COUNTER ACTION MIYAKOの店長、太田氏が経営する太田精肉店で食べたコロッケ、メニューがひとつしかないラーメン屋たらふくで食べたラーメンも美味しかった。
焼き肉店もりもりは、ライブの日は閉店とのことなので、今回は食べることが出来なかった。残念。
メインイベントのKen Bandのライブも最高の盛り上がりだった。特に印象的だったのがケニーファルコンが初披露されたこと。深緑の美しいグレッチだった。そのギターを嬉しそうに、楽しそうに語る健さんがすごく見てて微笑ましかった。
さらにKLUB COUNTER ACTION MIYAKOが3周年を迎えたということで、店長の太田氏と健さんがステージ上で挨拶をするというサプライズも。
書籍東北ライブハウス大作戦でも述べられていたので、太田氏のイメージは予想してはいたが、ライブハウスでの立ち居振舞いを見て、そのイメージどおり、「統率力のある経営者」という印象だった。
そのステージ上で「宮古にまた来てください!」と言った姿が忘れられない。
こんな素敵な場所、来ないわけがない。また絶対来ます。今度はもりもりにも食べに行きます!

石巻市は5月にも来ているが、みんなが口を揃えて言う
「来やすくて栄えてる」
まさにそんな印象だった。
少し車を走らせれば大手ショッピングモールがあるし、大抵のお店は揃っていたし、車でも電車でも仙台からのアクセスがとてもよかった。
ただ、5月に来たときに地元にある日和山という小高い丘から見た沿岸の光景が忘れられない。
一面空き地が広がっていて、私は無神経にも「ここは何があったんですか?」
と連れてきてくれたお兄さんに聞いてしまった。
「ここは全部住宅街だったんだよ。」
と、教えてくれた。
とても信じられなくて、何と言っていいかわからなかった。
それが復興の進捗だったのだ。

街全体の印象だが、ライブ当日はほとんどの時間を宮古から石巻への移動に費やしたので、石巻の街を堪能した5月の店頭販売の時と、前々日のお祭りでのイメージになってしまうのだが、一言で言うと
「とにかく人が温かく優しく明るい」
店頭販売の時は、お友だちのお兄さんが仲介してくださったとはいえ、一緒に並んでくれた東北の人たちが、埼玉の田舎娘を優しく楽しく受け入れてくれて、とても嬉しかった。
さらにチケット購入後、当日知り合ったばかりの地元のお姉さんが「ほら、美味しいからあげる、食べて」と、ブルレジ近くの精肉店
で販売してたカニクリームコロッケをくれた。衣でちょっとむせてしまったが、あのコロッケの味と優しさはずっと忘れない。
それに、「また東北に来てね!また会おうね!」
とみんなが口々に声をかけてくれた事にもすごく嬉しかったし感動した。
感動するくらい、温かくて優しくて、それでいて明るくておもしろくて、このパワーがどこからくるんだろうと不思議だった。
それが石巻で感じた印象だった。
さらに石巻BLUE RESISTANCE店長の黒澤氏にも、店頭販売時と、川開き祭りの日、ライブ当日とご挨拶させていただいた。
個人的な印象としては
「優しい笑顔が素敵なおっとりした方」
しかし、あまり難しいことは多く話さないけれど、その優しい笑顔の奥にある芯の強さのようなものを感じた。
さらにみんな「黒澤さん、黒澤さん」と慕っていて、みんなから愛されているんだなぁと、なんだかとても微笑ましかったのを覚えている。
Ken Bandのライブはというと、この日も最高の盛り上がりで、特に印象的だったのが
ラジオで音源が発表されたばかりの「maybe maybe」が初披露されたことと、「空調タイム」と称した弾き語りタイムで、なんと床に座って聴いたこと。kenBandのライブで体育座りなんて初めてだった。笑
さらに人生2回目の出待ちなるものをしてみた。
どうしても、苦労して手に入れたチケットにサインが欲しくて。
幸運にも、南さんと、かなり雑だが、健さんのサインをいただくことが出来た。
大切な宝物が増えた。


宮古でも石巻でも、共通して話していたのは、
「震災について」
「ライブハウスでの暗黙のマナーについて」
震災については、
「震災はないほうがよかったけど、震災からたくさんのことを学んだし、そこから良い方にしていったほうがいい、失うものもたくさんあったけど、得るものもあったほうがいい」といったニュアンスのMCをしていたし、
ライブのマナーについては、
「みんな好き勝手にやってるように見えるけど、暗黙のマナーってのがあって、ここにはマナーはあるけど、ルールは存在しない、それがライブハウスだと思うんだ」
と言っていた。
震災についての話は、このライブハウスで聞くからこそ、特別胸に染みるものがあった。
震災をきっかけに動いた人、意識、考えが変わった人、たくさんいたわけで。
健さんの言うように、そこから何か学んで、得ることが前に進むきっかけになるのではないかと感じた。
ライブマナーについては、以前からずっと言っていたことだけれど、テレビ出演でもしかすると新しいファン層が増えたかもしれない。
テレビ出演したときの健さんはお世辞にもいつもどおりとはまったく言えなくて、そこから健さんのライブに行った人がいるとしたら非常にびっくりしたかもしれない。
でも、健さんの言う通りそれがライブハウスだと私も思っている。
この4日間の行程で得たのは、ライブの満足感、東北へこれた達成感だけでなかった。
「人との繋がり」
これこそ、得たものの中で一番大きなものだった。
健さんの曲
I go alone
never walk alone
I go alone again
まさにこの曲のとおり。
はじめ、この東北ツアーは私1人で行こうと思って計画していた。
元々、1人行動は慣れっこだったし、宮古も石巻も、1人で行くつもりでいた。
しかし、実際にはそんなことはなかった。
まず、出発前には「いってらっしゃい」と
たくさんの人が送り出してくれたし

石巻の川開き祭りでは、ずっと福島のお姉さんが一緒にいてくれたし

宮古には地元の人だけでなく、いつもライブハウスで会う顔ぶれが勢揃いだったし

石巻でも、店頭販売で共に並んだ地元の人たちがたくさんいて、再会をすることができたし

店頭販売から宮古、石巻とずっと同行してくださったお兄さんがたくさんのことを教えてくれたし

1人じゃないよ、寂しくないよとずっと見守ってくれた人もいたし。

送り出してくれた人
迎え入れてくれた人
いつも仲良くしてくれる人
はじめましてだった人
見守ってくれた人
最初はI go alone、1人で行くつもりだったけど、
最後はNever walk alone、1人ではなかった。
石巻のライブ終了後、最後に1人になったとき、とてつもなく寂しくなって、涙が出てしまった。
でも、1人じゃない、寂しくない、見守ってくれてる人がたくさんいる。
それに気づいてすごく前向きな気持ちになったのを覚えている。
健さんのツアー中のMCより
「1人じゃない、誰かがいるから」
「俺たちも、君たちも、1人じゃないから、でも1人でも行くぜ」
まさにI go alone again。
このツアーで出会った人たち、見守ってくれた人たちとの繋がりには感謝しているし、これからも続けていこう、繋いでいこうを大切にしていきたいと強く感じた。


本当にありがとうございました。
余談
今回のツアーにおいて、ツアーの少し前に発売された書籍「東北ライブハウス大作戦」のおかげで、さらに理解と関心を深めることができた。
旅の途中、Twitterにて書籍を絡めたツイートを投稿したところ、その筆者である石井恵梨子氏の目に止めていただいたようで、リツイートしていただいたのだ。
とても嬉しくなり、お礼をと思い、この旅で感じたことと、感謝の意を、不躾ながらTwitterのリプライにてお送りさせていただいたところ、なんとお返事をいただいたのだ。

最高の旅の締めくくりとなった。
感謝しかない。








