airi-trinityのブログ

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あなたは覚えているか?
情報や思惑が交錯する長い歴史の中で 本当に意図されてきたこと。
複雑に絡まりあった封印の時を超えて、
トリニティよ☆いま一度大きく世界へ咲き誇れ
神の意図と無条件の愛と共に+*

【愛を学んでも、なぜ孤独感は消えないのか】

─ 愛は感情ではなく構造だった ─
愛したいのに
愛せなくて
分かり合いたいのに
分かり合えなくて
許したいのに
許せなくって
与えたいのに
苦しくなる。
だから
愛について
たくさん学んできたはず。
愛することも
愛されることも。
許すことも
受け入れることも。
でも
不思議なことに
学べば学ぶほど
苦しくなる人もいて
人といるのに

孤独感を感じてる人もいて⁡

愛されているはずなのに
満たされない人もいる。
なぜでしょうか。
それは
愛が足りないからでは
ありません。
構造です。
前回お話しした
二元性の構造。
不足感を前提にした
ピラミッド構造です。
不足しているから
求める。
足りないから
埋めようとする。
愛も
その中で使われていました。
だから
愛しているつもりでも
埋めてもらいたくなる。
与えているつもりでも
受け取ってほしくなる。
大切にしているつもりでも
分かってほしくなる。
見返りを求めたり
無償だと言いながら
与えることに徹したり。
自己犠牲になったり。
執着したり。
手放したり。
いろんな愛の形が
ありました。
でも
その奥にあるのは
不足感です。
孤独感です。
移り変わる感情です。
だから
疲れてしまう。
だから
終わってしまう。
だから
満たされない。
そんな中で
伝えられた
愛の定義があります。
「愛とは
相手の観点から相手を観ること」だと。
愛とは
感情ではなく
構造だとはっきり伝えられたんです。
なぜ愛は
三なのか。
与える
受け取り委ねる
交わる。
愛し
愛され
愛し合う。
この三つです。
どれか一つでは
愛にならない。
与えるだけでは
愛にならない。
受け取るだけでも
愛にならない。
交わらなければ
愛そのものではない。
実は
これは
神そのものの構造でもあります。
神を
人間の観点ではなく
神自身の観点から観ると
神は
神自身に
無条件に愛を与え
神自身から
無条件に受け取り委ね
神自身と
無条件に交わっている。
だから
神は不足しません。
外に求めません。
神自身で
愛を循環させている。
完全に
自己充足してる存在です。
三でしか
その循環は成り立ちません。
鏡と鏡の間に
光を入れると
どうなるでしょうか。
もし
その鏡に
何のロスもなかったら。
光は
無限に反射し続けます。
終わらない光。
無限の光。
愛も
同じです。
与える。
受け取る。
交わる。
その循環に
ロスがなければ
愛は
無限に循環する。
命も。
光も。
愛も。
観ているものは
同じです。
だから
2012年2月24日
0時48分に
伝えられたのは
新しい愛し方では
ありませんでした。
愛が
無限に循環するための
構造です。
不足感が生まれる構造ではなく
循環が創り出される。
中心にあるのが
不足なら
与えることは
埋めてもらうためになり。
受け取ることは
不足を満たすためになり。
交わることは
孤独を消すためになる。
すると
愛は循環ではなく
交換になります。
だから
与えても苦しい。
受け取っても足りない。
交わっても満たされない。
神の愛は違います。
不足から始まりません。
すでに満ちている。
だから 与える。
だから 受け取る。
だから 交わる。
それは
不足を埋めるためではなく
愛そのものが
循環している状態です。
逆に
循環しているからこそ
愛なんです。
だから
世界の構造が変わると
愛になるんです。
2012年2月24日
0時48分に
降ろされた五角形は
この愛の構造を
世界に展開するための
設計でした。
ピラミッド型の
エネルギー構造は
頂点へ向かいます。
上へ。
もっと上へ。
そこには
持つ者 / 持たざる者
与える者/ 受け取る者が生まれます。
教える者 / 教わる者が生まれます。
つまり
交換です。
でも
五芒星には
頂点がありません。
「中心」を共有しながら
互いに繋がる。
だから
循環が生まれる。
愛は
交換ではなく
循環だからです。
互いに繋がる時に
その「中心」に在るのは

どのエネルギー構造なのか。

いまの世界の中心
そこには一体
何が置かれてしまってるのか。

その辺が
愛を生きる時に
とても大事になると思いますが
また次回に。
AIRI