今地元の友達のFacebookで知った。
地元の高校の同級生・女友達が亡くなった事を知ったことを。。。
今も連絡取るような仲ではなかったが、
高校の時、休み時間によく遊んでた子。
あんなに元気だった、明るくて、破天荒で、みんなの中心的面白い子だったのに。
ギャルでいつもぶっ飛んでて、高校は友達の為に来てたようなもん。
校則違反で普通授業から隔離され、一緒にみんなで補習授業受けたよね。
「金髪できないならこんな学校やめてやるーー!!(笑)」なんて言ってたっけな。
その後、その子は高校中退して、地元のお祭りでも会って、
それきりかも。
なんで。。
今でも「〇〇~!!(←私の名前)、遊ぼうよ~」って声が聞こえる気がする。
こんなことが…自分の子供にもあった後に、
またしても、尊い命がなくなってたなんて。。。
もう10年以上たつが、連絡ももう取ってなかったが、
とても悲しくて今、すごく泣いた。
こうやって、生前前の思い出や面識がある友達の悲しさと
自分の子供が亡くなるという壮絶な悲しみはまた違うけど、
ましてや、短い間ではあったけど生を持って生まれてきたお子さんをもつ天使ママはまた違う悲しみと思いれがありますよね。。。
悲しみの大きさは比べ物にはならないし、
同じひとつの大切な命だったのはかわりない。
こうやって世の中に、たくさん赤ちゃんが生まれてきては、
この瞬間にも生をうけて生まれてこれなかった子もいれば、
まだ若いのになくなったり、芸能界でも最近訃報をよく耳にする。
かと思えば、ニュースでは、自分の子供を殺すだとか、憎いからやったとか
本当に怒りがこみあげてくる事件も多くてテレビを消したくなる。
なんか、こんなにも世の中の「生」と「死」が身近に感じている。
前は当たり前だとおもっていたけど、本当に重みを感じるようになった。
目に見えないだけで世界中で日本中で私たちの周りには、この瞬間にも
たくさんの命が生まれ、たくさんの命がなくなり、
この世と天国を行き来したりぐるぐるしているんだよね。
本当に大切な命というのはその人に1つだけ与えられたもの。
短い命でも、長い命でも、大切な命。個の命。存在した命。
どんな人生を歩めたかな?
満足できてるかな?
天国行けてるかな?
天国に行けたら、うちの彩衣里(あいり)にも会えるかな?
優しく遊んであげてね。
女の子同士、仲良くしてあげてね。
遠いけど、天国は空ひとつでつながってるよね。
安らかにお眠りくださいなんて言わないよ~
元気有り余ってそうだから、まだ楽しく元気に遊んでて~
気持ちは一緒にいるからね。
彩衣里もね、みんな近くにいるからね。一緒だよ。ひとりじゃないからね。