2026/9/16
片づけをしていたら、ふと懐かしい一枚の紙面が出てきました。
それは、今から4年ほど前、私がまだ議員になる前に作成した『けいじの政治 特別号外』です。そこには、「市民力」の代表山中啓之さんと私・湯浅あやの対談が大きく掲載されていました。
紙面を眺めていると、あの時の緊張感や、政治の世界へ一歩を踏み出す直前の熱い想いが、昨日のことのように鮮やかに蘇ってきます。今回は、この懐かしい特別号外を振り返りながら、私が政治活動を始めたきっかけや、「市民力公認1号」として歩み出すことになった経緯について改めて綴ってみたいと思います。
政治活動を始めたきっかけと「あの言葉」
私が政治や社会の仕組みに強く目を向けるようになった原点は、障害を持つ娘の存在でした。
当時は障害児を育てる日々のなかで自分のことで精一杯。何かに困ったときは「議員さんに頼めば何とかしてくれるかもしれない」と、どこか他人事のように思っていた部分がありました。
そんな私の意識を大きく変えたのが、当時議員だった山中啓之さんとの出会いです。障害を持つ娘のことばかりを考えて不安に暮れていた私に向かって、山中さんはこう言いました。
「あなたのためだけには働かない。障害者全員が暮らしやすい松戸にするために働く」
初めてその言葉を聞いたときは、正直なところ大きなショックを受けました。「なんて失礼な言い方をするんだろう」と驚いたのを今でも覚えています(笑)。
しかし、その言葉の裏にあったのは、「特定の誰か一人のためではなく、社会全体を公平で納得感のあるものに変えなければならない」という強い信念でした。それまでの「食い合いとバラマキの政治」から脱却し、誰に対しても公平な目線で政治を行う。目の前の有権者に媚びることなく、正論をまっすぐに貫く山中さんの姿勢は非常に新鮮で、「自分もただ見ているだけでなく、前向きに活動をしたい」と思う決定的なきっかけになりました。
「市民力公認1号」として歩み出す決意
山中さんは政党や組合、宗教団体といった大支援組織からの応援に頼らない、完全な「無所属」による政策集団である「市民力」として活動してきました。それは、しがらみのない真の「市民目線の政治」を実現するための挑戦でした。
「なぜ山中さんと一緒に活動したいと思ったのか」
その理由は、山中さんのブレない姿勢と、行政の市民委員などを通じて私が感じていた「現場の声を市政に届けなければならない」という思いが完全に重なっていたからです。誰もが言いにくいことでも、必要であれば自分が声を大にして言う。そして、同じ悩みを持つ仲間とネットワークを作って定期的に話し合い、行動に移していく。その大切さを、当時の対談を通じて改めて確認し合いました。
気づけば、私は「市民力公認1号」として、この街の未来に向けた大きな一歩を踏み出すことになっていたのです。
すべての生きづらさを抱える人のために
当時の対談で私たちが深く語り合ったテーマの一つが、「障害児の親亡き後」という、福祉の根幹に関わる問題でした。
誰もがいつかは歳を重ね、時には病気をし、日常のなかで不安や支えを必要とする瞬間がやってきます。それは決して個人の問題で片付けられるものではなく、今後は社会全体で支え合っていく必要があります。
私は大型事業の見直しを行い、その財源を福祉や介護職員の処遇改善などに充てるべきと考えます。
また、山中さんとは議会に対しても、「『はたらく議員』で一杯の議会に変えたい」という強い思いを共有していました。コロナ禍で多くのエッセンシャルワーカーが必死に働く中、議会が形骸化していないか、市民の感覚から乖離していないか。政党や組織に頼らないからこそ、普通の市民が何を望んでいるのかに常にアンテナを張る。その姿勢は、今も私の活動の大きな軸となっています。
おわりに
あれから4年という月日が経ちました。
あの時の特別号外に写る私たちの表情は少し若いかもしれませんが、そこにある「松戸をより良くしたい」「市民一人ひとりの声が届く政治をつくりたい」という情熱は、当時から一歩も揺らいでいません。
初心を思い出し、改めて身が引き締まる思いがします。すべての生きづらさを抱える人が自分らしく暮らせる街へ。そして、誰もが希望を持てる松戸の未来のために。
これからも一歩一歩、着実に活動を続けてまいります。


