昨日、天理教の教会長に就任した父の手伝いを終え

名古屋から千葉に帰って来た。

その帰りの途中、

名古屋駅に立ち寄り

その地に住む友人とコーヒーを飲むために待ち合わせていた。

するとその時に、7月までの短期プロジェクトで世話になっていた

プロジェクトリーダーのKさんから電話があった。

K「Uくんさっ、今日東京帰るんだよね?」

U「はい、夜10時頃に東京に着く予定ですけど…」

K「あぁっそ。(←Kさんの口癖 笑)今日の22時以降ならM社長時間あるっていうから電話してみてよ。一昨日話したあれの件でさ。もしかしたらUくんにホームページ製作の仕事振れるかもしれないから。人生相談も兼ねて話してきなよ。」

U「そうですか、わざわざありがとうございます。」

K「じゃ、よろしく。オレ今から京都だからさ。」


そんなことがありM社長に電話をして、

22時に東京駅・日本橋口のスタバで待ち合わせた。


さて、M社長とはどんな人かというと、これがまたスゴイ人である。

彼は京都の資産家の息子として生まれた。

中学を卒業後、家の方針で200万持たされて浮浪者生活を始めた。

その期間実に7年間!!

ただ、浮浪者にも3種類ある。

  1.とことん堕ちていってしまう人

  2.少ないながらも(空き缶、ダンボール回収などで)収入を得る人

  3.浮浪者生活の中で様々なスキルを身に付けて再起を図る人

M社長はまさしく“3番目”の該当していた。

浮浪者生活をしていく中で様々な人との出会いがあり、多くの人脈と生きていく術を身に付けていったのだ。

もちろん警察に補導されたことなど数え切れないほどあった。

M社長は当時親からの「仮に補導しても家に返さないでくれ。家の方針で家出させている。」との同意書を携帯していた。

警察も職務なので、その度にM社長の実家に通報するのだが、同意書と同じ回答をされたらしい。




7年後、M社長はどうなったのかというと…

大道芸で稼いだ2000万円を持ってヨーロッパから帰って来たのだ。

どこでどう海外に出たのかは不明だが…(謎)


それを元手に会社を起こして、今では5つの会社を経営している。

1つ目の会社は

浮浪者時代に声を掛けてきたとある経営者である。

その彼から

「うちの会社の1システムを担当してくれないか?」

との依頼であった。

そしてM社長はその会社の店舗運営の一角を担う

委託業務を手がけたのである。

その声を掛けてきた彼こそ、現・アイフルの会長である。


人との出会いとは本当に判らないものである。

しかし、こういった出会いがあるから辛いことがあっても

人生は楽しいと思えるのだろう。



およそ1時間半の話の中で、

M社長から仕事の依頼を受けた。

今までしてきた仕事の中では明らかに一番収益性の高い仕事である。

今後の生活を立てる直すことができそうだ。

勿論、バイトをする必要性もなく家計を助けることができるだろう。

一筋の光明が差し掛けてきた。

とても意味のある1日だった。


今後また、M社長のことを詳しく紹介していきたいと思う。









先日、クラブイベントの情報を探していたら

「れいかんやまかんとんちんかん」

なるチーム名を発見した。

ダンス甲子園(from天才たけしの元気が出るテレビ)世代の人なら

知っているであろう。

LL brothers

インペリアル

山本太郎(所属チーム:アジャコング&戸塚ヨットスクール)

らと共に第一次ダンスブームを作ってきた

田中正幸率いるフリースタイルの4人組のダンスチームである。

田中氏は山本太郎と共に芸能界デビューを果たすも、

当時から評判の良くなかった悪態ぶりからか

自然と画面から姿を消してしまった。

しかしながら、ある日

アサヒ スーパードライのCMで起用され

彼がアメリカでダンス修行をしていることを知った。

この頃のスーパードライのCMは

「海外で戦いを挑む男」シリーズでCMを展開していた。

田中氏は単身アメリカに渡り、

”アポロシアター”という

アメリカのダンサーなら知らない人はいない

ソロのダンスバトルにチャレンジしていたのだ。

この大会は10週勝ち抜くと栄誉あるチャンピオンの称号を

手に入れられるものである。

残念ながら彼は9週目で敗退したらしいのだが、

そのチャレンジ精神と

異国の大会であそこまで勝ち上がったことは

賞賛に値するものだと思う。

時間があったら是非そのイベントに顔を出したいと思う。

因みに、そのイベントの他の出場チームは

はむつんサーブ

無名

・・・etc

といった感じである。


最近の記事は本来の目的から逸れていた(反省)

今一度気を取り直して書き直したいと思う。


縁とは不思議なものである。

私は先日話した通り副業をすることになった。


過去の経験から居酒屋で働くことにした。

週に4~5日。

原付で5分ほどの所にオープンしたばかりのワタミグループの新店である。


面接も無事に通過して研修を受けたのだが、

強く感じたことがある。

それはワタミグループのアルバイトのマニュアルが

私が先日書いたブログにある

過去の経験から導き出したサービスの神髄と酷似していたことである。


研修の中では

(株)ワタミフーズ代表取締役社長・渡邉美樹氏の

アルバイトの面接を受けにきた人へのメッセージ(ビデオレター)もあった。



どんな思いで会社を設立したのか。

また、現在グループ店全店で取り組んでいるリサイクル活動(ISO14001)、

ワタミカードで飲食をした人の売り上げの1%が社会貢献に寄付されるなど…

とにかく世の中に貢献している姿勢に感銘を受けた。


この店で働けば人として成長できると思い大きな期待を抱くことができた。

店舗スタッフはアルバイトが主であるから、

先出の渡邉氏の想いを汲んで職務に当たれる者はそれほどいないと思うが・・・



実は私の前職場であるシティホテルにも渡邉社長はお客さんとしてよくお見えになっていた。

私は何度か氏のサービスを担当したことがある。


こういった経緯を考えると、

これも必然のなせる業なのではないかと思わざるを得ない今日この頃である。



今後、新宿救護センターの玄さんとエキスパートアライアンスの中川氏との

対談を企画してみたいと思う。

突然ではあるが、私は新たに副業を始めることにした。


以前のブログ内で”自営業とは言うものの中身が伴っていない”ことを

話していた。


勿論それだけが理由ではない。

数ヶ月前より私の父が名古屋の実家へと引っ越して

千葉と名古屋の二重生活を始めたことも起因しているのである。


やはり千葉と名古屋を行き来するのも、

高速バスを使っても往復で1万円は下らない。



・・・

そこで私に白羽の矢が立ったわけである。

母と姉、そして愛犬の面倒を見る割合が大きくなったのである。


私は先日手始めにネットの求職サイトに登録してみた。

すると翌日すぐに

某大手シティホテルよりオファーが来たのである。

ここでは詳細は割愛させてもらうが、

ありがたいことである。

・・・


しかしながら私は思う。

実は私は過去にベンチャーと言うか何と言うか・・・

企業の立ち上げメンバーとして、いわゆる”起業”に携わったことがある。


結果から言うとどちらも倒産した。

後日ブログでも話せる範囲で話したいと思う。

(関わっていたメンバーのプライバシーの問題もあるので)


これらの経験から感じたことがある。

それは

”仕事をする上での絶対的な相性”

である。


やはり誰と組んで仕事を進めていくのかは重要なことである。


そのことがあるからオファーをもらったシティホテルの件も躊躇しているのが現状である。



さて、前回のブログの内容は、居酒屋でのバイトをしていた時の話だったが、

実はこその店でバイトをしている時は働いていても明らかに違う感覚があったのだ。


言葉では上手く言えないが、

そこで働くことが楽しくて仕方なかった。


客は老若男女を問わず幅広くいた。

学生、サラリーマン、OL(保母さんが多かった)、経営者・・・

中にはかつて新宿歌舞伎町のNo.3に入っていた元・ホストの人(Sさん)もいた。

30代半ばにして数億円の資産を築いているなかなかのヤリ手である。

彼はよく昔のお客さんを連れては店に呑みに来ていた。

そして毎回ヘベレケになって帰っていった(笑)

彼とはプライベートでも仲良くさせてもらっていた(主に飲みだが・・・汗)


ある日、その彼から言われた一言がとても深く私の胸に残っている。

「Uくんは(仕事中に)ホントによく喋るよね~

 でもね、Uくんが上手いのはね、喋り過ぎないんだな。これがまた!!

 引き際を知ってるよね!!

 その感覚は大事だから忘れるなよ!!」


思い返してみれば、

この頃、私の中での接客マニュアルが確立されたのである。


形としてもちゃんと結果は出していた。

店舗は東京都市部の(都心に比べれば)人口の少ない土地にあった。

その近郊の系列店9店舗の中で1度も売り上げトップになったことのない店だった。


しかしながら、私がこの店で働くようになり3ヶ月が過ぎた頃。

平日でも確実に忙しい店へと変わっていた。

毎日日替わりで私の客が来てくれた。

(Mという従業員がいたのだが、彼女によく「兄さん(私の方が年下だったがこう呼ばれていた)が辞めてから客が減った。」とのみに行く度に言われていた 泣)

気が付くと2ヶ月連続でエリア売り上げ1位の快挙を成し遂げていた。

もちろん、周りの従業員との風通しが良かったことが最大の要因だとは思うが・・・

実際に周りも私に相談してくれたし、私も本音返していた。

その逆も然りである。


後に店長の推薦もあり、本社のスーパーバイザーが

「社員にならないか?」

との声もかけてもらった。

(泣く泣く断ったが)


・・・・


懐かしい思い出の1つであるが、

Sさんや居酒屋の仲間に教えてもらったことは

今後の人生においても大いに役立てて行きたいと思う。


私に自信をつけさせてくれたことの1つである。




追記

今日は知らぬ間に話の流れがころころと変わってしまっていた。

申し訳ない↓

次回は的を外さぬように時間に余裕のある時に書きたいと思う。





第1話 「君はファンキーモンキーベイベー☆」

この話は私が都内で生活している時にしていたバイト先(居酒屋)であったノンフィクションである。

当時、私は知人の立ち上げた零細芸能プロダクションで働いていた。

そのプロダクションには、現在他のプロダクションでブレイクしているTVでお馴染みの○○や◇◇が在籍していたりした・・・

何故私がバイトをしていたかと言うと、会社側の契約不履行で給与未払いに遭っていたからである。

・・・

さて、その日もいつものように夕方6時から出勤して

大声を張り上げながら居酒屋MAXだった

・・・

「ピンポーン!!」

インターホンでお客さんに呼ばれ、

「お待たせしました。お伺い致します。」

とその卓に行くと・・・

初めて見る男2人、女1人の3人組が団欒していました。

Tシャツにデニムやカーゴパンツといったファッションに茶髪に金髪のショートモヒカンといった、いかにも学生らしき連中だった。

私が彼らの前に身をかがめてハンディーを取り出すと、

女「○○○○下さい。(ドリンクメニュー)」

U(ハンディーを打つ)ピピッ!

男1「生グレープサワーの中お願いします。」

U:「はい、生グレの中ですね。」 ピピピッ!

そして事件は起こった!!

男2「(クスクス笑いながら)梅酒・・・」

U「梅酒の・・・何になさいますか?」

男2

「梅酒・・・梅酒ロックンロール下さい!!(してやったりの顔 笑)」

女・男1:Σ( ̄◇ ̄;)(驚!!)

しかし、ここで驚かないのが自称お笑い店員(またの名を裏店長)のUなのである。

当時、私の元には笑いの神が降臨していた♪

心の中で

「むむ!?このオオケン(大槻ケンヂ)似のファンキーな学生

 め!なかなかやるな!!!( ̄ー ̄+)」

と思いつつ反撃開始。

U「お客様、大っ変申し訳ありません!梅酒ロックンロールは只今

  品切れなんですよ。」

男2「まぢっすか!?Σ( ̄□ ̄;)焦」

U「はい、代わりといってはなんですが…

  梅酒ロックンロールベイベー!

  でしたらすぐにお持ちできますよ!!」

男1、2・女:(大爆笑!!)

U:(小さく握り拳)ググ・・・!!

  「(心の中で)俺の勝ちだな☆」

男2「(涙目になりながら)じゃぁ、

   (心なしか恥ずかしそうに)梅酒ロックンロールベイベー”

   下さい。プププゥ・・・」

U「(笑顔で)はい、かしこまりました。

  あっ、お客様申し訳ありません。

  そちらの女性の方のご注文を忘れてしまいましたので、

  もう1度ご注文の確認をさせて頂いてよろしいですか?」

男2「(爆)また×3、お兄さん、上手いなぁ~

   そうやって、かぶせてくるんだからぁ」

U「いや×3、ホントに忘れてしまったんですよ。

  …で、申し訳ありません。

  お姉さんは何をご注文されましたっけ?」

女「カシスオレンジです。」

U「あぁ、そうでした×2。大変失礼致しました。

  で、そちらのお兄さん(男1)が、

  生グレープフルーツサワーの中ジョッキで、

  お兄さん(男2)が・・・(目で訴える)」

男2:(濡れた瞳でこちらを見る)←注:意味が違うやん!!

  「う、う…梅酒…

   梅酒ロックンロール…ベイベー下さい…(半泣き状態)」

U:「梅酒ロックンロールベイベー!!ですね!」

一同:(大爆笑)ドッカーン!!

・・・・

その後、彼等が週1ペースであしげく通ってくる常連客になったのは言うまでもないだろう。。。。

最近意気込んで毎日ブログを更新していたせいか、体調を崩してしまった・・・

そんなことを言いつつも、

理由はおそらく昨日の”高校時代の野球部応援OB会”の時の飲みすぎが原因との噂・・・(汗)


正式に発足した記念すべき第1回目の会なので、その辺は多めにみてもらうとして・・・

早いもので、高校を卒業して早12年が過ぎてしまった。


当時から

「OB会作ろうぜ!!」(名誉会長:K戸さん・・・今年で32歳、2児のパパ)

「OB会作ってくれよぉ~」(H江先生談)

と・・・話は持ち上がっていたのだが、

結局のところ毎年野球部の夏の甲子園大会予選・千葉大会敗戦と同時に

・・・忘れ去られていた(笑)


所詮そんなものである。

毎年恒例のお祭りみたいなものだ。


さて、私の母校は某大学の付属高校である。

その高校の野球部においてかつて一人だけプロ野球選手になった人がいる。

(他のスポーツでは、プロゴルフの尾崎直道さん・・・あとは・・・すみません、知りません↓)

広島カープや日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)で活躍した”長冨浩志さん”がその人である。

母校を卒業後に国士舘大学~社会人・NTT関東へと進み、

89年に広島東洋カープからドラフト1位指名を受けた。

入団したその年に10勝9敗で新人王に輝き、以降40歳過ぎまで現役で活躍した投手である。


因みに、現・野球部監督は長冨さんとバッテリーを組んでいたH田先生である。


以降、永嶋宏慶(26)・吉岡興志(19)(共に投手)といった

目ぼしい選手が何人か現れドラフト候補には挙がったが、

プロに行くことはなかった。

今年は一部の野球フリークが開設しているサイトの中で中島拓人(18・投手)

が千葉ロッテと東北楽天のドラフト候補として挙がっているらしい。


何だか自分でも何を話しているのか解らなくなってしまった(笑)


どうも野球とダンスの話になると熱が入ってしまう・・・

まぁ、休日ということで許してもらいたい。


気付けば日付も変わってしまった。

早起きのためにも今日はこんな感じで終わりにしたいと思う。


また次のネタを考えつつ床に就くとしよう・・・

では・・・




昨日予告した通り、今日は昨日開催された玄秀盛 生トークライブvol.8について書きたいと思う。

時間の関係上、私は昨日は途中退席してしまったため、全てを報告することはできないことをご了承頂きたい。


時間は18時過ぎ。

私はピンクのネオンが立ち並ぶ日本最大とも言える歓楽街・新宿歌舞伎町にやって来た。

空は次第に暗くなってきていた。

時間が時間だけに、街には多くの人が行き交っていた。

女性に声をかけているホスト風の男達。もしかしたら風俗のスカウトやキャッチセールスの人かも知れない。

ナンパしてるであろうと思われるタンクトップに金髪・顔グロ・ピアスの20代前後と思われる男達。

居酒屋の店員は声を張り上げながら、サービス券を配り集客に勤しんでいる。

本当にいろんな人がいる。

・・・


駅から歩くこと数分、今日の目的地であるトークライブの会場に着いた。

新宿 LOFT PLUS ONE


新宿救護センター から程近い、コマ劇場の向かいに面したビルの地下2階にある。

予想通り店内は調光度を落とした薄暗い感じで、それらしい雰囲気を醸し出していた。

内装はフロアから小高い位置にDJブースがあり、

その他多くの円卓や椅子がDJブースを取り囲むように段差をつけた状態で並べられている。

卓上にはドリンク・フードメニューに灰皿、コップには割り箸が用意されていた。

後方にはドリンクパントリーがありDJブースと向き合う形で常設されており、

壁にはトークライブのゲスト・創作書家の高野こうじさん (今後紹介していく予定 ※高野さんの了承済)の作品などが貼られていた。

入り口付近には多くのイベントのフライヤー(チラシ)、

また、会場の一角には本棚があり懐かしい漫画が並んでいた。

この店は居酒屋とライブハウスがミックスされた店で、今年で10周年を迎えたとのこと。



私は開演の19時まで時間があったため、ジントニックとつまみを2品ほどオーダーした。

途中、この日のみ100冊先行発売(一般書店では8月25日発売)した玄さんの新刊著書「玄理玄則」を購入しつつ、救護センターの谷口さん(お会いするのは4~5回目)と上田純子さん(うえじゅんママ/初対面)に挨拶をしたりして、その時間を楽しみに待った。


・・・


(前フリが長くなったが)

19時になり、いよいよ開演。

DJブースには短髪の黒髪を立てたメガネの青年が入り司会進行を始めた。

彼は救護センターのボランティアスタッフの1人であるツジモトさん(漢字が判らないのでカタカナで失礼)。

彼のコールにより玄さんが登場した。

拍手で迎えられた玄さんは淡い水色(?)のサムイを纏い、セッタっを履いていた。

何でも最近の玄さんのスタイルらしい。

いかにも玄さんらしい。


この時点でお客さんは50人といったところ。


スーツ姿のサラリーマンから、今時のファッションに身を包んだ男の子に女の子など世代を問わずに集まっていた。

この店の常連さんと玄さんのファンが半々と言ったところである。



さて、トークライブはこの3年間を振り返っての思いや今後の展開について話が進んで行った。

話を聞いているだけでもとても勉強になることがばかりだった。

その中で”ピン”ときたのが「社会貢献」である。

それがどんなものなのかは以下を読んでみてもらいたい。

そして各々感じることをコメントしてもらえると嬉しい。



玄さんはこう言った。

世の中は全て上からものを変えようとする。俺は違う!!現場からやねん!!

 ”歌舞伎町=ゴミ溜め”みたいなもんや。

 でも、誰が歌舞伎町をゴミ溜めにしたんや?

 国か?行政か?

 いいや、違うねん!

 歌舞伎町は人間の欲望が集まってできた街やねん。

 それを都知事や行政が風俗の排除をしたりするやろ?何でか?

 歓楽街のモデルを作ろうとしとんのや。

 俺も一緒や。この歌舞伎町を変えることができたら日本の歓楽街全てを変えられる。

 日本を変えられる。

 そう信じて歌舞伎町で救護センターを始めたんや。」


・・・

その後、来月オープンする「コミュニティ・カフェ」 の話がメインとなっていった。


・何故コミュニティカフェを作ろうと思ったのか?

・今の場所にした理由

・大家さんとのやり取り   etc・・・

・・・

玄さんが会いに行ったある社長のところに電動車椅子に乗った男性(クマシロさん)がいたらしい。

その彼は玄さんに向かってこう言った。

「玄さん、僕もボランティアがしたい!!(車椅子に救護センターののぼりを立ててチラシを撒く)」

玄さんは心を動かされた。

「こんな奴でもボランティアをしたいと思うことが凄い!!」


・・・


それともう1つ。

キャパが大きくなれば、それだけ多くの人を抱えられるし、

ボランティアや支援者・カウンセラーなどで多くの人を対応していける。

同じ時間をかけても、それが仮に10人いれば10人の人が早く羽ばたいていける

「大事なことは受け止めること」

そんな思いが玄さんの中にはあった。

・・・

そんな経緯で”可能性のあることをやって行きたい”と思ったのキッカケだったようだった。



玄さんは続けた。

「場が大事」

何かを始める時にまず拠点を1つ作る(根を張る、足をつける)。

それから中身を考える。

それから規模が大きくなっていったらマスを大きくすればいい。

・・・


途中、ゲストの高野こうじさんも登場して玄さんとの出会いや高野さんの活動や作品紹介、リアルタイムでの作品作りなどを経て休憩に入った。


気が付くと時間は20時半を回り、お客さんも80人前後に増えていた。



ここで私は、高野さんとの名刺交換と今後の取材(ブログの記事にするため)のお願い、

購入した本に玄さんのサインをしてもらい帰路につくこととなった。



巷では賛否両論の玄さんだが、私はそうは思わない。


このブログの記念すべき1つ目の記事に玄さんのことを書いたが、

”お金を稼ぐことを知っている人が、全てを人のために捧げているのだ!!”

一切の甘えの許されないことである。

それを”一日一生”の精神で実践しているから凄いのである。


私が玄さんと同じことをできるか?・・・と言われたら、100%無理である。

だが、できないならできないなりに協力していくことはできる。

だから私は玄秀盛を応援しているのだ。

救護センタースタッフやボランティアの人達や支援者もそうであろう。


”ボランティア精神”


興味を持ったことがない人でも、一度はその意味を考えてみるべきではないだろうか?


これからの時代は間違いなく共に助け合っていく時代である。

私も日々、自身の向上に努めている。

できることからやっていく。


「千里の道も一歩から」


である。



今後のブログの中で普段知り合う機会のない方々を紹介していきたいと思う。

その人の生い立ち~現在に至るまで、その中であった出会いetc・・・


読者の人達に少しでも「感動してもらえる」ように努力して行きたいと思う。



【今後登場してもらう予定の人】

・nishibotyann(=ナオキクッキング):某シティホテルの格闘調理人

・高野こうじ氏:創作書家

・五十嵐広行氏(=EXILEリーダー・HIRO):(株)LDH 代表取締役社長


こんな感じ。。。



※次回は、今日行ってきた”玄秀盛 生トークライブ”の感想を書きたいと思う。

 乞うご期待!!




私の現在の職業は自営業である。

響きだけ聞けば結構なことのように聞こえるが、その中身は伴っていないのが現状である。


私がブログを始めたのには理由があって、

  1.自身を冷静に見つめるため(その時々で何をどう思ったのか残しておきたい)

  2.自身を叱咤激励するため

  3.その延長線上で自己成長を促していくため

  4.日常で知り合うことのない人に私の考えや思いを発信して行きたいから

  5.このブログの読者に何かを感じてもらいたいから

以上である。


私は今日のタイトルを「ギャップ」としているが・・・

何を隠そう、私自身がギャップの大きい人間である。

感情の起伏が激しい・・・ギャップである。

仕事で着ることが多いスーツに比べて、私服は(ストリートダンスをしていたこともあり)・・・チェケラッチョな感じ(YUKA-MO談 汗)・・・ギャップである。



さて、今日は私の自営業仲間のKさんに会って来た

Kさんとは今年の4月に知人に招かれた花見で知り合った中年の男性である。

私の中ではご隠居様的存在の人であり、

仕事の短期プロジェクトで苦楽を共にしてきた私の大切な友人の一人でもある。



・・・

私は、今日のブログのタイトルの候補を新宿へ向かう電車の中で幾つか考えた。

そのうちの1つが「ギャップ」だった。

ただ、それだけだったらブログとして書こうとは思わなかった。


偶然にもKさんの口から「ギャップ」という言葉が問題点(課題点)として出たことが今日のタイトルの決定打となった。

・・・


待ち合わせ場所はJR新宿駅の西口交番前。

待ち合わせ場所としては有名な所である。

予定では17時にそこで落ち合うことになっていたが、お互いに時間に余裕を持って来ていたため16時半には会うことができた。


「やぁ、U君。その格好、すぐに判ったよ。

いつも通りの笑顔のKさんがそこにいた。


優しい顔と白髪に丸眼鏡。

Yシャツにスラックス、紺のジャケットを羽織った今年流行りのクールビズが良く似合う紳士である。

穏やかな性格と口調ももちろんだが、時折見せる厳しい表情と辛口のコメントもまたグッドである。


私は現在、仕事に対して一歩引いた所で立ち止まった状態である。

むしろ路頭に迷っているといった表現が適切かも知れない。

  何の仕事か詳しく説明することを今回は差し控えさせてもらいたい。

  簡単にひと言で言えば「代理店」である。

プロジェクトで苦楽を共にしたKさんに、私が思っていることを聞いてもらい何かしらの意見を聞かせてもらいたかった。

今後の軌道修正のキッカケにしたい・・・そんな思いだった。


待ち合わせ場所から数分歩いた飲食店へと場所を移し、Kさんに私の考え方や思いが(プロジェクトを進めて行く中で)どう変わってきたのかを聞いてもらった。

それを聞き終わるとKさんは静かにこう言った。

「まず、U君は見た目が爽やかでマトモだよね。言葉遣いも丁寧だし、真面目な好青年だと思うのね。だから余計に”(プロジェクトを一生懸命やってるのに)何で結果が出ないんだろう?”って不思議に思って考えてたんだよ。これを言ってしまうと傷付いちゃうんじゃないかと思って迷ったんだけど・・・1つ思ったのが”ギャップ”なんだよ。U君は仕事の時はピシッとスーツで決めてくるんだけど、普段着になるととってもラフな感じになるじゃない?これはオジサン的意見なのかも知れないけど、それが原因なんじゃないかなぁ~って思ったんだよね。


私はKさんのこの言葉に全てが集約されていると思った。


簡単に言えばこんな感じではないだろうか?

何かをやろうと決めたなら


”徹底してそれに打ち込む姿勢をみせろ!!”


私はKさんがそう言いたいのだ感じた。

プライドだとかライフスタイルとか、そんなことを言い訳にして反論するつもりはない。

それが私に欠けている部分なのだと感じたからだ。



・・・

私は以前書いた「お詫び」というブログで、”自分の情けない部分も書いて行く”と公言した。

それは「こんなダメな奴でも頑張ってる」ことを知ってもらうためである。

・・・


自然体でいるのは楽でいい。

肩肘張っていると疲れてしまう。

だけどそれは変に虚勢を張らずに、メリハリを付けてやっている人が言えることだ。

ピントをずらしてはいけない。


そんなことを思った。



今日もまた1つ気付かせてもらうことができた。

やはりKさんの存在は大である。


ご隠居様・・・ありがとう・・・


私が6月末まで勤めていた都内の某シティホテル時代にあった出来事で、私が野球少年だった頃にサイン会でサインをもらった選手との再会の記録である。


私が勤めていたホテルはプロ野球のパシフィック・リーグの数球団が遠征時に宿泊しているホテルである。

その球団とは

  1.福岡ソフトバンク・ホークス

  2.オリックス・バッファローズ

  3.北海道日本ハム・ファイターズ

である。


これらの球団が在京球団との試合になると当ホテルで宿泊して、朝食と夕食を食べている。

その他にもホテル内の小宴会場を使用しての野手・投手・スタッフに別れてのミーティング等々、選手を目の当たりにする機会は多かった。

もっとも・・・最寄の駅前にあるパチンコ店Mやパチスロ店Gでもよく見かけた(笑)

特に今シーズンからは”セ・パ交流戦”が開催されるようになり、先に挙げた球団が当ホテルに宿泊する回数が増えた。


時は遡り、今年の3月。

シーズン開始のオープン戦の時期である。

(この日は福岡の震災があった日で、選手は試合の途中に家族と連絡を取り合って安否の確認をしていた)

当ホテルでは昨年度よりケータリング(出張)サービスも手掛けるようになっていた。

このサービスをプロ野球の試合時にも(ロッカールームやベンチ裏で)行うようになったのである。


この日は千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテ-福岡ソフトバンク戦。

春先にしては気温10度前後というの言うのは寒すぎる気候であった。

Yシャツにベストという制服には相当堪えた。(帰宅後熱を出して寝込んでしまったほど)

勿論、制服のスラックスも穿いていた(念のため 笑)


当ホテルからの出張スタッフは、普段は宴会を取り仕切る側にいる社員のKさん。エキセントリックな発言の絶えないひょうきん者のMさん、最近結婚したらしいJ君(おめでとう!!)。キッチンからは(先のブログにコメントしてくれたnishibotyann  【←彼のブログにジャンプするよ♪】と同じコールドキッチンの)Xさん、そして私の5人。

朝7時にホテルに出社して2tトラックとホテルのハイエースの計2台で出発。

選手が球場入りする前に現地のマリンスタジアムに到着した。

千葉ロッテ球団職員の方の指示で三塁側(福岡ソフトバンク側)のロッカールームとミーティングルームに案内され、そこに軽食会場のセッティングをした。


一軍のベンチ入りの選手28人に王監督やコーチ陣、球団広報等を合わせると総勢50人前後の人になる。

(選手は全員が毎試合ベンチ入りしている訳ではないので、人数は若干前後する)

まるで民族大移動である。



・・・

アップを終えた選手達が続々と会場にやって来ては思い思いに食事をしていく。

もちろんメニューはチーム・コンディション担当の栄養士と当ホテルの営業・キッチンの人間の打ち合わせを元に決められる。

一番目に付いたのは”アミノ・ヴァイタル”である。

やはりスポーツ選手にはアミノ酸は欠かせない。

選手はオレンジジュース等と一緒にそれを体内に流し込んでいく。


そんな中で軽食会場に現れたある一人のコーチに目をやった。

「あっれぇ~、あの人どこかで見たことあるよなぁ~」

会場にいるのはいつもスポーツニュース等で目にしている有名な選手ばかりであるから、見慣れているのは当たり前である。(選手はユニフォーム姿なので背番号と名前が分かる)

またコーチも、昔は現役で活躍した選手だったことが多いため、顔を見ればすぐに判る人もいる。

だが、それとは違う何か懐かしい感覚を覚えたのである。


そして思い出した。

「あっ、廣田さんだ!!」


料理元卓にいた私は廣田さんが料理を取りに来た時に思い切って話しかけてみた。

エ:「廣田さん、今はコ-チをされているんですか?」

廣:「ん?バッティングピッチャーだよ。」

エ:「そうでしたか。話は変わりますけど廣田さん、桑田さんが入団した年のオフにららぽーとでサイン会あったの覚えてますか?」

廣:「(少し考えて)あぁ~、あったねぇ。懐かしいね。」

エ:「実はあの時、廣田さんにサインもらったんですよ。」

廣:「えっ、そうなの?(驚)」

エ:「今でも部屋に飾ってあります。」

廣:「嬉しいねぇ。でも、あれって何年前だっけ?」

エ:「僕が小6の時なので18年前ですかね?」

廣:「ははは。そんな前かぁ~」

エ:「そうですね。これからも応援してるので頑張って下さい。」

廣:「うん、ありがとう。」

・・・


懐かしい人と懐かしい会話をできたことが嬉しかった。

その当時、廣田さんは王監督の下でジャイアンツのストッパーとして活躍していた投手だった。

身長は175cm程だったが、1シーズン30セーブ近くをあげた名投手だった。

全身のバネを使った小気味良いピッチングが持ち味の投手で、その当時の彼のピッチングは今でも私の脳裏に鮮明に焼きついている。

私はPL時代からの桑田信者であるが、同時に廣田さんのファンでもあった。


その当時のことを思い出しながら楽しく仕事をすることができた。

やはり何でもそうであるが、人は日々の生活の中で感動しながら生きていく方が良いと思う。

そのことが生きていく活力になったり自信になったりするのだから。

とにかく、どんなに些細なことでもできることからチャレンジしてみるべきであろう


そんなことを思う今日この頃である・・・