花が楽しめる季節は

手入れも忙しくなる季節です。

 

 

お掃除したり植え替えしたりしていると
地球温暖化による植生の変化を強く感じる。

それでも
巣作りで忙しいヒヨドリやシジュウカラがせっせと小枝を運んでいくし

アゲハが卵を産みにきたりと
小さな生き物たちはほんとに逞しい。

小さな緑の空間だけど
まるで人と自然の交差点

毎年同じようでも

年によって生育は異なる。

花の付き方も実のなり方も・・

だから
農業に携わる方々に尊敬の念しかないです。

作物を育てることは
マニュアルがあってないようなもので
成長過程から収穫まであらゆることを想定して

常に環境の変化と向きあっていかねばならない

奥が深い仕事だと思います。

先日ニュースになっていた

新人職員と農業関係者を比較した元県知事の発言は勘違いも甚だしいです。

世界的なサプライチェーンで
大規模な森林を開拓し牧草を植えたことにより
地球規模の温暖化に拍車がかかった。

森林で暮らしていた動物は食べ物がなくなり

飢えて家畜を襲うことを学習してしまった動物は駆除される。


海でも山でも生態系が変化して

これまで採れていたものが採れなくなってきた。

欲深い人間の行いは
まわりまわって
人間の身に返ってくるということなのか。。

 


4/29に放送されたNHK「世界はほしいモノにあふれている」の
「鈴木亮平が行くイタリアSP ときめく文具と世界遺産をめぐる旅」

大好きなフィレンツェが特集されたので観てました。

フィレンツェは街全体がルネッサンス期の美術館のよう

だけど「過去の街」ではなく

現在も職人さんたちへのリスペクトと美意識が受け継がれているところが好きです。

石畳の路地裏に軒を連ねる工房も魅力の一つ。
大量生産で効率よく利潤を追求する企業が多い中で

工房の職人さんたちは仕事に誇りを持ち、豊かな発想でこだわりある作品を作り続けている。


幸せな暮らしって
年収や社会的地位より

誇りをもってこだわりの仕事ができることだと思うのです。
 


小さな虫たちが逞しく変化に適応して生きていけるのは
短い命を精一杯生きて

早い周期で子孫に変化を伝えていけるからなのかな。。

人の寿命は医学の進歩のおかげで延びた。
長生きできるようになって

変化対応力が低下しているのではないだろうか。

 

あと何年あるかわからない老後への備えというものに縛られ身動きできなくて
働いても働いても豊かさの実感が得られない。

本当の豊かさとはなんだろう
考えさせられます。

 

ルネッサンス期のフィレンツェを実質的に統治し

学問や芸術のパトロンとしても有名な
ロレンツィオ・ディ・メディチの言葉

(訳は番組からの引用です)


私たちは幸せになることを諦めてはいけない
明日のことは誰にもわからないのだから

朝起きて今日も命があったと思うなら
その人生を精一杯謳歌しよう



この言葉がフィレンツェの人々の生活に息づいているから

たとえ政治や経済が変化していっても

暮らしが豊かに感じられるのだろう。。