お出かけにはちょうど良い気候だけど
長時間家を空けられない事情があり・・
連休中はさくっと行かれる所にちょこちょこ出かけてました。
その一つ・・
泉屋博古館東京で開催中の
特別企画展「日本画の棲み家」

こちらの美術館を訪れるのは今回が初めて。
京都にある泉屋博古館の東京分館で去年リニューアルオープンしたらしい。
(泉屋博古館は住友家旧蔵の美術品を保存しており、泉屋は住友家の江戸時代の屋号)

麻布の旧住友家別邸跡地にあって、当時の庭園の緑を残しひっそりとした佇まい
長居したくなるような心地よい空間

 

 

↑狂い咲き?十月桜?

 


この企画展は「床の間芸術」を考えるということで、かつて住友家の邸宅で実際に飾られた日本画とその取り合わせを再現した。

面白い企画だったが、写真は撮れず、取り合わせの図録がないのが残念。
 


このパンフレットにある、
岸田劉生の「四時競甘」と宮川香山の「倣洋紅意窯変化瓶」の取り合わせは、実際に邸宅の床の間で飾られていたそうである。
実りはめでたい

ということでお祝いの時に飾られた。一緒に飾る光沢ある紅の花瓶でさらに華やか。

企画展の解説によると・・
もともと日本画は座敷や床の間を「棲み家」としていた。
明治に入り西洋の展覧会制度が導入されたことで
日本画も展覧会で映えるような巨大で濃彩な表現になってきた。
この流れの中で泉屋の日本画は、邸宅で来客を迎えるために飾られたものであり
展覧会芸術とは逆行する、柔和で吉祥的な作品たちである。


たしかに、美術館で鑑賞する絵画には、大作で圧倒してくる作品や斬新な作品が多く
それはそれで素晴らしいけど
大きさの問題もあるし、家に飾りたいものとはちょっと違う。

床の間や座敷が少なくなった現代の家であっても
展覧会芸術とは違う柔和な日本画を楽しみたい人はいると思う。
それは芸術なのか商品なのか?
というところは曖昧だけど・・
芸術が表現者と鑑賞者で成り立つものだと考えれば、どちらも芸術だと私は思っている。

音楽でも
どんなジャンルであれ
大きなホールで聴きたいもの、ライブ会場で楽しみたいもの、仕事しながらバックグランドで流したいもの、映像と一緒に楽しみたいもの・・
様々なシチュエーションに応じた音楽があって
そして
どれも芸術であると

私はリスペクトしている。
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朝日新聞「折々のことば」で書き留めておきたいものがありました。


折々のことば   鷲田清一 
共感しないことは相手を嫌うことではなく、
新しい視点を手に入れて、
そこから対話をするチャンスなのです。
                       東京都現代美術館

共感は他の人と気持ちを通いあわせること。
人への思いやりややさしさはそこから生まれるが、共感を強いられたり、「共感できる」とあっさり言われたりすると、つい抗いたくなる。
人はみな違うものだから分かりあえなくてもあたりまえだと考えれば、
逆に相手をもっと知りたくなる。
展覧会「あ、共感とかじゃなくて。」のちらしから。


東京都現代美術館で開催された展覧会「あ、共感とかじゃなくて。」には残念ながら行けなかったが、東京都現代美術館のWebサイトで概要を知ることができる。

目に見えていることはわかりやすいようだけど
そこからの共感は安易に感じる。
見えないものに目を注いで
時間をかけて
すぐに結論を出さずに
考え続けることで
もっと深い共感を得る事ができるかもしれない。

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今、世界でおきている争いで
双方の当事者の話や映像を通じて

日本にいる私たちも
共感したり感情が揺さぶられたりする。

感情に流されて

どちらの味方になるか
と、すぐに結論を出すのではなく
当事者でない日本だからこそできることとは?

しっかり考えたい。