たまに、ブラームスに浸りたくなる時がある。

もっぱらCD鑑賞だけど
一番よく聴くのはこれ↓

ヴァレリー・アファナシエフの

ブラームス後期ピアノ作品集

他の演奏家に比べテンポはおっとり
自分のペースで一人の時間を楽しめる時に聴くと心地よい。
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でも、やはり生演奏を聴きたくなるもので

検索してみると

 

「ブラームスの想念」と題した
仲道郁代さんのピアノリサイタルを見つけた

場所は私の好きな東京文化会館の小ホール
作品にもピッタリのホールだ。
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日曜日はこのリサイタルに行ってきた。


深まる秋にふさわしいプログラムだと思った。

晩年の小品たちの作品116、117、118、119が演奏された。
この作品たちは
クララとも不和の関係になり孤独を感じていた時期に、遺書をしたためた後
わずか1年で書かれた。

仲道さんの見解では

この作品たちのテーマは
「失う」

仲道さんは
王女さまのような金と黒の華やかなドレスで颯爽と舞台にお出ましになったけど
とても丁寧に、彼の悲しみ、後悔、苦しみの一つ一つに
うんうん、そうだよね、そうだよね・・
と寄り添って演奏されているようで
まるで慈悲深いマリア様だった。

私の好きな作品118は
予想以上にテンポが速かった。
今まで聴いたことがある演奏の中で一番速いかな?

仲道さんのお話によれば
作品118のテーマはあえて言うなら「愛」だけど、走馬灯のように楽しさ、美しさ、悲しさが駆け巡っていたのではないかと。
確かに、思い出に浸る間もなく走り去っていくようだった。
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今回のリサイタルで面白いなと思ったのは
ブラームスの曲を言葉にしていたこと。
小節ごと音形を丁寧に読んでそれを言葉として表現するのだ。


 

これらの解釈が正しいか否かではなくて
演奏者が「私はこう思うけど?」と問いかけてくる中から、自分が共感するものを探してみるのが面白い。
リサイタルを聴きに行く楽しさだと思う。
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このリサイタルでは、音楽では成功者であるブラームスの内面にある苦悩について焦点があてられていた

だけど、

楽観的でドライな私が思うのは
クララを愛していても、精神的、音楽的に結びついた関係を大切に思い、たとえ孤独であっても自由を望んだのであったとしたら
結局は自分を貫いた人生だったのではないか


その過程でシューマンをリスペクトする気持ちから迷いや寂しさも感じていたはず。
でも、愛する人に40年以上も書簡を送り続けるなんてそうできるものではない。
なんだか、こじらせ男子のようだけど
そんな人間的な魅力、ミステリアスな所が彼の音楽の根底にあるような気がする。

 

100年以上経っても、多くの人がなぜだか気になってしまう人なのだ。
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華やかで活気ある夏が終わって
草木も空も香りも彩り豊かになる時期でもあり
 

もう聞くことができない人の言葉を思い出して
心が温かくなったり
寂しさを感じたり・・


ブラームスはとくにそんな季節に
聴きたくなる音楽だ