13日は念願だったファジルサイのコンサートに行ってきました!



 

紀尾井ホールで2日間あるコンサートの1日目
「SAY PLAYS SCHUBERT」
(2日目の「SAY PLAYS SAY」も行きたかったな・・)



 

とにかく感動・・凄かった!
そこには本人とピアノだけで創られる彼ならではの世界があって
グイグイ引き込まれた。
そして
彼はとっても自由でしたw

顔だけでなく体中で感情を表して
歌ったり、唸ったり、怒ったり、足踏みしたり・・
おまけにこっちを見つめてくるし・・
席が前でど真ん中だったから、勘違いしそうになるw

左手が空いている時は指揮もする
びっくりしたのが
なんと両足の踵を上げたままでペダル踏んでるのだ。
そんなピアニスト見たことない!

先生から注意される事たくさんやってるけどw
なんで注意されるかというと

こういう事すると音がちゃんと鳴らないから(だと思う)

でも、さすが天才ピアニスト
こんなに忙しく動いていても、色んな音を自在に操るのだ。

どこかのインタビュー記事で
「私は楽器で自分の感情を表現してます」
と言っていた。

確かに
シューベルトのピアノソナタで彼の物語を歌っているようだった。
そして次から次へと場面が移っていくからこちらも夢中になる。
いずれも長い曲なのに、あっという間に感じた。

自分の感情を表現する演奏って、普段ピアノの先生から言われてきたことに反するようだけど、彼は聴衆に伝わるという確固たる自信をもって演奏しているようにみえる。

それは決して自分よがりの思いつきの演出ではなく、十分に曲を分析をしたうえでの演奏だからなのであろう。
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オペレッタを観たような楽しい気分になった後
アンコールはゴルトベルグ変奏曲アリアで
美しさにしっとり魅せられたところからの
アンコール2曲目はなんと!


サイ作曲のブラックアース
ブラックアースは2日目かなと諦めていたから嬉しかった!

深い音色と内部奏法による民族楽器のような音が響き、広い砂漠に立ち上る陽炎が見えるよう。

この曲は、アナトリアの長い歴史の中で翻弄されてきた民族の悲しみを歌っているのだろうか。

 

 

彼は西洋音楽をリスペクトしつつ
自国の民族音楽を愛して誇りにしているのだと感じた。

ピアノだとかクラシックだとか
そんなことを超越して
音楽のすばらしさが感じられた演奏でした。
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トルコはヨーロッパの端、そして日本とおなじようにアジアの端。
その地にこんな素晴らしい音楽家が育っていることに興味がわく。

西洋音楽が発展したヨーロッパは
おとぎの国のような中世の街、絢爛豪華なお城、そういう綺麗なものだけでない。
どの国にも悲しい歴史や醜い面もあって、それを知ることで、実際には見えないものを想像して美しいと感じられるようになるのだと思う。

クラシック音楽を広めたいとかピアノをもっと多くの人に弾いてもらいたいとか言う人は多いけど
まずは多くの人がなんとなく持っているイメージに対する憧れをなくさないと先へは進めないのではないだろうか。
大谷選手も言っていたけど、これって大事だと思う。
そうでないと、ただ言われていることや形を真似するだけになってしまうから。

まずは自国の文化を知って、現実を学んで、そして異文化への憧れを脱却して対等になる。
演奏する人も聴衆も。

彼の育った音楽環境はそういう所だったのではないかな。
彼の生演奏を聴いて、そんなことを感じました。
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最後に、
いつも私の拙い記事に
いいねをくださる皆様
本当にありがとうございます。

色々考えるところがあり
今回から閉じることにしました。

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どうぞよろしくお願いいたします。