空は秋らしくなって心地よい風を送ってくれるけど

地上はまだまだ残暑ですね。

 

 

週末は東京都現代美術館へ




 

DAVID HOCKNEY展の広告は鮮やかな色彩の絵がアピールされているように見えるが、私は特に彼の自画像に惹かれるものがあって見に行ってきた。

東京都現代美術館ホームページより(↓)



 

肖像画も多く展示されていて
今回の展示の中で一番長く見ていた場所かもしれない。

モデルは彼の身近な人達だから
もちろん私は実際に会ったことはないのに、その人がどんな話し方をするかまで伝わってくる。
そして力強くはっきりとした線や色に、友人や家族への愛が感じられるのだ。

「現実の世界を目に見えるまま描こうとすればするほど、かえって作品から迫真性が失われていくことに気づいた」という言葉
深いなあ・・
表現活動すべてに言えることかもしれない。

さらに印象的だったのは
表現者として新たな技術を柔軟に採用していくところ。
四季の移り変わりを表現するためipadを使用している。



 

背面に光源があるデジタル画だと
水面の映り込みや雲を透って届く光が映える。

人間って
長く生きていると、それまでの生き方に執着する傾向があるけど
今なお続く表現の追及が自由な発想へ繋がるところが素敵。
自分もこの先、頭を柔らかくして生きていけるといいな!
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アニメの世界に浸っている自分を懐かしんでいるかのようなCDジャケット(↓)


彼はアニソンが好きで沢山弾いてきているけど、今回のCDのアレンジは
アニメを見てない人でも、アニソン自体を楽しめるアレンジにした印象(←私個人の印象です)
タワレコのリリースイベント配信で
「どういうアレンジ、演奏が喜んでもらえるかを意識した。自分がなくなっちゃいますけどね・・」というようなことを言ってたと思う。
これからはもっとキャッチーなアレンジを探っていくということかな?

彼は心臓の鼓動とリンクするリズムで感情を表現するから(←私個人の意見です)キャッチ―な装飾がなくても聞いているうちにだんだんと心へ伝わって寄り添ってくる。

そこは、彼がピアノを続ける原動力となったというまら氏の表現とは大きく違う所だし、

お二人の活動も(ピアノの良さを知ってもらうという目的が同じであったとしても)異なっていると思う。

今回のまら氏との連弾から受けた刺激でどう変化していくのかな。

自分らしさと一般に受けること、表現者みんなが悩むところである。

 

余計なことだけど・・

 

自分が幸せになること

それが難しければ

そのままの自分を受け入れて生きていくこと

 

それが恩人だと思う人への恩返しだと思うな。
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なぜか突然・・
リストって今でいうイケメンピアニストで、マダムたちから絶大な人気があったけど、リサイタルを数多くやっているうちに虚無感を感じてしまい、結局若くしてピアニストをやめてしまった

という話を思い出した。(その後作曲家としても有名になるけど)

そんなこと考えていたら・・

天才詩人ランボーってどうして若くして詩をやめたんだっけ?

と思って「永遠」を読み返してみた。

見えない・・永遠が・・
残念ながら

頂点に立った人にしか見えないか・・