幼い頃の心の傷 | ココロ満タン♡♡♡地球ステーション♡♡♡

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・ダイアグラムセラピースクール代表
・アーキエンジェル ハピネス協会認定講師

 
幼い頃の心の傷。

トラウマ

私の中には沢山の見えない傷がありました。

物心ついた時、父も母もいませんでした。

私の周りにいたのは、親戚で、父方の親戚の家を転々…

前述のブログに登場した従姉の家にいたこともありました。

私たちは小学校にまだ行っていない頃でしたが、色々とお手伝いをしていて、できていなくて怒られた記憶があり、叔父が叔母を殴っていた記憶もあります。

細かいところは、途切れ途切れだけど、従姉も私も良く泣いていたように思います。

違う親戚のところでは、オネショをしてしまい、殴られ、オシッコをしたところに、顔をこすりつけられながら、折檻されました。

祖母の家では、港で溺れて、近くの方に助けられ 家に着くと、祖母に身体中をつねられながら、お風呂に行かされました。

自分は生まれて来てはいけなかったんだと、幼心に思いました。

幼い頃のワンシーンに、施設の記憶があります。

そこだけは、何故か楽しい記憶です。

私は、周りの厄介者として、幼い頃を過ごしました。

それは、強烈な自己否定の源で、癒やしの道への原点でもあります。

そして、登場する祖母は他界し、叔父や叔母もいつしか年齢を重ねました。

父は、数年前、癌で亡くなり、寂しい生涯を閉じました。

人生って、何だろう?

誰も皆、一生懸命生きて、悩み、苦しみ…

そんな父方の身内。
ツラいと思った幼少時代、祖母や親戚が嫌いだったけど、大人になってからは、時々宮崎に帰っては、楽しいひとときを過ごさせていただきました。

従姉に父方の親戚の近況を聞き、

帰っても《良く帰ってきたね~》と声をかけてくれる身内が、一人…また一人と減って行くのかと

とても寂しい気持ちになりました。

今なら、理解できるんです。

みんな一生懸命生きてたんだって。

生活が苦しい中、一人増えることが どれだけ大変だったか。

それでも、一時的にでも預かってくれた叔父や叔母、祖母に《ありがとう》なんだってラブラブ


キラキラクローバー感謝クローバーキラキラ


続きは、またドキドキ