幼い頃の心の傷。
トラウマ
私の中には沢山の見えない傷がありました。
物心ついた時、父も母もいませんでした。
私の周りにいたのは、親戚で、父方の親戚の家を転々…
前述のブログに登場した従姉の家にいたこともありました。
私たちは小学校にまだ行っていない頃でしたが、色々とお手伝いをしていて、できていなくて怒られた記憶があり、叔父が叔母を殴っていた記憶もあります。
細かいところは、途切れ途切れだけど、従姉も私も良く泣いていたように思います。
違う親戚のところでは、オネショをしてしまい、殴られ、オシッコをしたところに、顔をこすりつけられながら、折檻されました。
祖母の家では、港で溺れて、近くの方に助けられ 家に着くと、祖母に身体中をつねられながら、お風呂に行かされました。
自分は生まれて来てはいけなかったんだと、幼心に思いました。
幼い頃のワンシーンに、施設の記憶があります。
そこだけは、何故か楽しい記憶です。
私は、周りの厄介者として、幼い頃を過ごしました。
それは、強烈な自己否定の源で、癒やしの道への原点でもあります。
そして、登場する祖母は他界し、叔父や叔母もいつしか年齢を重ねました。
父は、数年前、癌で亡くなり、寂しい生涯を閉じました。
人生って、何だろう?
誰も皆、一生懸命生きて、悩み、苦しみ…
そんな父方の身内。
ツラいと思った幼少時代、祖母や親戚が嫌いだったけど、大人になってからは、時々宮崎に帰っては、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
従姉に父方の親戚の近況を聞き、
帰っても《良く帰ってきたね~》と声をかけてくれる身内が、一人…また一人と減って行くのかと
とても寂しい気持ちになりました。
今なら、理解できるんです。
みんな一生懸命生きてたんだって。
生活が苦しい中、一人増えることが どれだけ大変だったか。
それでも、一時的にでも預かってくれた叔父や叔母、祖母に《ありがとう》なんだって
感謝
続きは、また