●まず大野氏の、日本語クレオールタミル語説に関する議論

 

大野晋氏は日本語の起源に関して、「日本語はクレオールタミル語」、南インドの人達が弥生時代に日本に来た時に、元々日本列島にいた人たち(大野氏の仮説ではオーストロネシア語系の話者)が、タミル語ネイティブと話をするために、下手なタミル語を話し始め(つまりピジン語)、その子供たちやその子孫たちは、その下手なタミル語を母語として話すようになった(つまりクレオール化)、ということを説明しています。その下手なタミル語が母国語になったものが、日本語なのだということです。

 

大野氏は、元々日本に住んでいた人たちは、ハワイ語とかマレーシア語とかインドネシア語等を含むオーストロネシア語族の言語をしゃべっていたのではないかという仮説を立てています。John Wolff氏によれば元々オーストロネシア祖語には/l/だけあって/r/はなく、つまり/l/と/r/が区別できない言語だったと議論しています。これには反対説もあり、/r/はなかなか複雑だそうですが、松本克己氏は、/r/は、本来の/d/や軟口蓋摩擦音/ɣ/から二次的に発生したものだと推定しています。

 

だから、ざっくり言うと、大野氏は日本にいたオーストロネシア語系言語の話者はLとRの区別をしないので、タミル語を学んでもLとRを区別できず、クレオールタミル語になっても元々のタミル語のLとRの区別が反映されていなかった、ということです。まさに、英語のlightもrightも、日本語ではどちらも「ライト」になってしまうのと同じことです。


日本語が下手なタミル語が母語になったものという話が本当かどうかについて、激しい議論がなされていて、真実は今も誰も知りません。歴史言語学や言語類型論は僕の研究分野ではなく、自分で汗水たらしてこれらのデータを集めたことはありませんが、僕は大野晋氏のファンだったこともあり、趣味として読んだ本や論文の話を大雑把にしていこうと思います。この記事をきっかけに、日本語に起源に興味を持つ人が増えてくれるといいなと思います。

 

 

●LとRを区別する言語としない言語の分布

 

松本克己氏の「世界言語のなかの日本語」という本によると、LとRを区別する言語(つまり流音が2つ以上ある言語)と、LとRを区別しない言語(流音が1つしかない言語)の分布が面白いです。

 

■LとRを区別しない言語(流音が1つだけ)、現在は区別していても元々は区別していなかった言語

日本語、韓国語、アイヌ語といった環日本海(環東海)の言語、ハワイ語などの南東に広がるオーストロネシア系諸語、エスキモーの言語、北米南米先住民の言語、といった、環太平洋の言語。

(マレー語、インドネシア語など/l/と/r/を区別するオーストロネシア系言語もあるが、前述のように/r/は、本来の/d/や軟口蓋摩擦音/ɣ/から二次的に発生したものだと推定されるそうです。)

 

■LとRを区別する言語(流音が2つ以上)

モンゴル語、トルコ語などのアルタイ語系、ウラル語系、タミル語を含むドラヴィダ語系、インドヨーロッパ語系、アフロアジア語系、といったユーラシア大陸からアフリカ北部の多くの地域の言語

 

※他に、流音が全くない言語が分布する地域もあります。

 

地図で見ると、両者はランダムに現れるのではなく、流音が1つの言語が分布する地域と、流音が2つ以上の言語が分布する地域が、それぞれ連続的に続いています。

そして、言語は常に変化するものですが、変化しやすいものと変化しにくいものがあり、流音が1つか、2以上かということは、変化しにくい分野だそうです。

 

弥生時代にタミル人が日本に来た時として、日本人がタミル語のLとRを区別できなかったというより、母語に流音が1つしかない言語の人が、LとRを区別する言語を学ぶ時に苦労するというのは、自然な話です。

 

 

●日本語クレオールタミル語説に対する批判

 

日本語がクレオール語ということはあり得ないという批判があります。例えば日本語の動詞には5段活用、上一段活用、下一段活用、昔は上二段活用、下二段活用という、かなり複雑な活用をする言語です。しかし松本克己氏の話では、ピジン語になる時に、このような活用は真っ先に単純化されるはずだということです。例えるなら、日本人が英語の3人称のsとか、完了形が苦手なのと同じ、スペイン語の人称によって動詞の活用が変わるのが苦手なのと同じことです。ノンネイティブはこういう複雑な動詞の活用を習得できず、単純化する傾向にあるということです。このような複雑な活用が日本語にあるということは、日本語はクレオール語のような若い言語ではなく、もっと古くからあって活用を発展させた言語であった可能性の方が高いかもしれません。

 

また、日本語はかなり一貫してhead-finalの言語、つまり文のheadである動詞は最後、被修飾語は修飾語の後ろ(例、「リンゴ赤い」ではなく、「赤いリンゴ」)、「てにをは」のようなcase markerが名詞の後ろ(例、「に駅」ではなく「駅に」)といったように、headが後ろに来るのが一貫しています。一方、中国語のように激しい言語接触があったと言われる言語の文法は、headが前だったり後ろだったり、あまり一貫していません。個人的には日本語のこういう特徴も、クレオール語である可能性の低さを示していると思います。

 

また、タミル語話者が南インドから日本までやってきた物理的証拠も、怪しいという話も聞きます。(このあたりは私は素人なのでわかりませんが。)日本語とタミル語の類似は統計的にも偶然の域を出ず、「他人の空似」だという人達もいます。

 

とにかく大野氏が亡くなって以降、日本語クレオールタミル語説は、懐疑的な人が多数派で定説としては扱われていないようです。

 

 

●よみがえる大野説

 

日本語の起源がクレオールタミル語ではなかったとしても、日本語とタミル語がなんらかの形で接触があった可能性も、現時点では完全には否定できないでしょう。

 

なんと、田中孝顕氏の「日本語=タミル語接触言語説―よみがえる大野 タミル語による記紀、万葉集の未詳語などの考察」という本が、2023年8月に発売されたようです。僕はまだ読んでいませんが、大野晋ファンの方は必読ですね。

 

 

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