信念。問題視するココロ、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

自分の中で《絶対にこれだけは譲れない!》という


信念が強いほど。。



目の前に用意されるのは《絶対に譲れない何か》


自分がその信念に基づいて裁く思考があるほど


目の前には《あー!許せん!》という問題視したい


出来事が用意されてしまう



世の中にあるたくさんの出来事に対する自分の反応は


この信じてやまない自分の信念が自動的に判断して



《ガーッ!なんたる事!けしからん!》と怒り


それを見逃すことが許せなくてがまんできなくて


《これは由々しき事態!大問題ですぞ!》と


頭が警報鳴らすんだ、、

(>_<")(>_<")




それが自分の信条に反することならなおさら、


許せーん!認めーん!ダメダメー!と憤り否定する


~活動家。~撲滅同好会。~風紀委員長。


自分の頭の中で騒ぐ騒ぐ。裁く裁く。。

(((^_^;)(((^_^;)(((^_^;)




自分の辞書。にないものは完全否定!


自分の信条に反するものは徹底抗戦!


自分の信念と異なるものは断固拒否!



これ、知らず知らずに自動的に裁き反応しては


勝手にあれこれと自分の中の正義の刃を振りかざし


ブンブン刀を振り回し自分も相手もキズつけてく



裁きを下しては《私が正しい!》をやろうとして


プンスカプンスカ喧嘩ふっかけるヤバい奴になり


『私が基準!私が正しい!』を声高に叫びたがる


自分の信念を証明する為に他方を貶めたり非難する



それは脳が警戒発動させた、おそれが強く現れたから


威嚇する、警戒する、攻撃する、防衛する、、


根底に潜んでいるのは《安心がない感覚へのおそれ》



人間は不安感に襲われる時、判断能力が著しく欠ける


冷静な判断ができなくなる、それは生存欲求による


生き残る為の防衛本能的な反応


保護ネコだってそうだろう、怖くて威嚇するんだ


臆病な犬ほどよく吼える、ように



生まれた後で強化してきた、信念が、こだわりが、


自分の世界を息苦しくさせてしまってる、、




信念で観たことない、聞いたことない事に緊張して、


警戒を強めたり距離を取って排除したりする


それは本能的な反応だからある程度は仕方ない



それを受け入れるだけの余裕状態がない。だけ


《違う》ことにひどく否定するクセがあるのも


親にそのようにおそれ波動で養育された影響もある




寛容な人でありたい。。とのたまいつつ、、


一方では頭の中でギラギラと剣を片手に持ちながら


『成敗!!』と暴れん坊将軍のような思考で


あれやこれやをバッサバッサと斬りまくってる、、



人間、正義感が溢れ過ぎてもそれが刃となって


自分も他人もただでは済まない痛手を被ることがある


自分が握りしめている、その信念


自分がかたくなに信じてる、その信条



そこに《こだわる》自分の思考で世界を殺伐なように


観てはいないだろうか、、


『全くもってけしからん!』と切り捨てるその思考で


知らず知らずに自分の首も締めて満身創痍に


自分から飛び込んではいないだろうか、、



一見。正しい!とされることでもう片方を裁くことが


いかにこの世界を窮屈で苦しく感じさせることだと


自分とは違う視点を取り入れていくことって大事



脳はヒマな状態を嫌う、ともいう


考えて解決したがる、刺激求めたりする、、


何事もないことを願いつつもどこかでは


刺激に走ろうと衝動を併せ持つ人間のさが




自分の信念にあまりにもこだわる思考が強いと


目の前に問題視するような出来事が用意され


ニュートラルに向けて歪み調整するために


自分の世界にだけ問題視するように映るんだろう



問題視する心クセ。


その思考に気づいて少しずつやめていく


その考えを緩めていく



正しさを知らしめなくてもいい寛容さ。を持って


ゆるゆる自分の世界に意識を向けて穏やかにあろう