《良かれと思って》ってさ、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

高圧的な態度で『お前の為に言っているのに!』と


放つ人が出しているエネルギーには脅しがある


その脅しに含まれる支配的なエネルギーが


受け入れたくない《抵抗したい》気持ちにさせる



そして受け入れた先にあるのはありがた迷惑な感情


満足するのは自分ではなく施した人のほう



独りよがりな《親切》はその人が抱える心のモンダイ


振りかかってきた時は自分の心の状態を見つめる



《救う》ていで近づいた人自身が枯渇していると


《救う行為》で満たされようと無意識に画策するんだ


良いことをすることで一瞬気分良くなるから


けれど、そこには《条件》をつけたらダメだ



そもそも。高圧的に強引に善行を遂げよう!って


なんかもう、おかしな事になってるやん?、、


もしそれで施し側が納得しないなら勝手に怒るんだ


それ、自分はとんでもない火の粉を被るよね



いいも悪いもないんだけど、無自覚に強引に


押し付けるありがた迷惑な行為って


一見親切行為は良いこと!と信じてるフシが強いと



施しを与える側の認識が弱く、心が枯渇して行うと


施しを受けとる側には《感謝しろ!》《恩着せ》の


波動に感じてしまうもの



導いてやる!指導してやっている!間違いだらけの


こういう思考で親に、監督に、先生に、上司に


《オレ(ワタシ)の基準こそ絶対!》とされるのは


受けとる側には負担に感じるんだ、



そんなに導く必要なんて、本当にあるだろうか


そんなに導きを要するほど、至らないだろうか


なぜその人に脅してまで、不安だらけの心なのか



熱心な指導、、そこに隠れてる支配的欲求


徹底的な管理の元で起きやすいモンダイ


規律を清く正しくきっちり守る!所に潜む


人権を無視しがちな《矯正思考》



親切行為だ!と信じてるフシが強いから


ハラスメントをハラスメントと気づけないんだ


(最近ものすごい細分化された命名してるみたいね)



構う、育成する、庇護する、そういう関係性ほど


自分のモノサシ基準で勝手に判断して


自分のモノサシ基準にはまらない人をこき下ろしたり


自分に似てもにつかない人を貶す事のないような



《相手には相手のやり方》《尊重を忘れない》姿勢


同一解釈して自分の基準を正当化する自己満思考を


常に《心の境界線を侵さない》意識が大切



不安、おそれに囚われると脳は保身的思考を取る


拘束させてくる思考が強いときは過緊張させてる


自分の中にそうした緊張や焦り不安が強いと


そういうドラマ仕立てで自分の心を揺らすんだ



何か。ずっと握りしめてきた不要な観念が自分から


お役御免。に向かうきっかけが起きているんだ



私の場合。《目上に逆らえない》《絶対服従》の


感じだったんだ、、おそれが覆っていたんだよね


そして『ノー』と言えず生きてきた、、よ


常にびくびくして萎縮するクセ抱えていたよ、、


だから目の前に高圧的な人を呼び込んでは脅しが


続いていたんだ、、あー、辛かったわ。。(;´д`)



さて。なぜそんなに『お前の為に!』と熱く指導して


わざわざ自分の正しさを過大評価して押し付ける?



お前の為に=オレ(ワタシ)が安心したい!から


オレ(ワタシ)の正しさを広めたい!布教したいから


オレ(ワタシ)の気に入るやり方でやらせたい!から



指導通り動く人で征服欲、支配欲が満たされるから



《良かれと思って》の弊害、善意からだ!と信じてる


だからそれを出過ぎた行いだと気づかないと


厄介な思考の布教《押し付け説教マン》と化す



自分の考えこそ正義!正しい!


という考えに取り付かれ周りを考える余地のなさ


口うるさい人。ほど、他人にばかり関心向かい


自分の事を疎かに自分の世話焼きをほったらかして



何とか自分が安心したい!為の強引な態度で


他人の思考を領域侵入してはコントロールしたがる



無自覚な上に、『私は親切!優しい!』と本気で


おせっかいやいてる、そういう自己判断する人は


親切、優しさの何たるか?、を勘違いしている



頼まれた分、さりげなくするのはいい


もちろん、見返りのない感覚で



率先して《善行を施そう!与えよう!》の中には


ベクトルが他人の窮状を考えて救う為のものでなく


親切行為する自己満に向かっていることがある



そして。自分のドラマになぜその人が登場してる?


と自分と対話していくこと


案外『断るレッスン』する為の出来事だってある


『ノー』と軽く断る自分になれるように、ね



これはいい人を卒業する過程に必須だから、、




《良かれと思って》やる前に自分の心の状態を


見つめるって大切


脳内ワラワラしちゃってない?


脳内余裕ない感覚ない?



不安なのはそう、、相手が!と相手の行動に囚われ


我を失ってしまってる《自分》だからね