『生意気!』と言うのは、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

『生意気!』と言うのは大人側だ


子ども、年下の人からは言わない


そして自分以外の価値観に否定的、受容する余裕ない



この言い負かしして優位に立とう!とする人を


どこか敬遠してきた、、


年齢的なものは覆せないけど価値観を否定する人に


軽蔑するような感じをずっと持っていた



押さえ込もう、理詰めでやり込めよう!として


価値観を自分たちの基準で判断しては


『なってない!足りてない!まだまだ!』と


否定してくるのも大人側だ



年齢で勝手に判断して上下関係を読もうとする


そんな思考をとても嫌ってきた


経験してきた数を年齢だけで判断するのは早合点だ


決めつけるその思考こそ、危険なもの



何歳だからまだ解らないハズ!なんて失礼


人間、そんな単純化して区別なんてできない


そして勝手に妄想して判断することは危険



もちろん、そこに反応するのは自分が先に


『私はダメ』『私は足りない』『私はもっと頑張る』


そんな感じで自分を追い込んでる脳内スパルタコーチが


厳しく人生観を観ているフシがあるから



真に受けて取って『自分責め』に利用しなくていい


それを気にするのは自分で確実に責めてるんだ


自分に不足部分を感じるフシがあるんだ



『意気がる』『いきのいい』『威勢のいい』


時代の世代交代が起こるのはこうした価値観が


親からのものから子どもの方に移るときなんだ



年齢なんて関係なくて、言う人が単に勝ちたいだけ


言い負かしたいんだ、年齢が上、だから


言い負かしたいのは、それを認めたくないから


認めたくないのは、おそれるココロがあるんだ



立場が変われば受け止め方も変わるもの


謙虚さを忘れる人は傲慢さに気づけない


自分モノサシの《絶対的判断》固めてるから



まだまだ子ども!なんて勝手に年齢で決めつける


そんな大人に腹をたててきたんだけど


案外、自分で囚われていただけ。だったりする



『10歳だろーが!100歳だろーが!』関係ない


制限して気にしてる、思考持ってる自分がいるだけ