お母さんは《料理できる》
お母さんは《家事が得意》
お母さんは《働き者》
お母さんは《サボらない》
お母さんは《キレイ》
お母さんは《きちんとしてる》
お母さんは《優しい》
お母さんは《洗濯が好き》
お母さんは《片付け上手》
お母さんは《付き合い上手》
お母さんは《裁縫上手》
お母さんは《何でもできる》
お父さんは《働き者》
お父さんは《仕事が得意》
お父さんは《頼りになる》
お父さんは《力持ち》
お父さんは《優しく強い》
お父さんは《何でも知ってる》
お父さんは《大きい》
思考が握ってる呪縛が自分の行動をいちいち
ダメ出ししてくるよ、、
お母さん=料理得意、家事好きな人ばかりいない
自分が無理やりそれになろう!と努力しても
理想像には努力が必要になるから
もともと、好きでも得意でもないのに
生活するために《仕方なく》やってることも
たくさんあったりするんだ
海外では屋台が当たり前だったりとか家事外注が
日常とか、そんな世界を知らないで
これくらいの事をさっとできないとダメだ!と
自分のできるレベルをハードルあげようとして
或いは母親や姑を意識して張り合おう!なんて
ムダな努力したりするから、合わない事をやって
ダメ出ししたりする自分が嫌になって
『やりたくない!』なんて嘆く。。。
性別なんか今の時代、ほとんど関係なくなった
けれども思考レベルではまだどこかで自分責めてる
私、思い出したけど、裁縫の授業で先生から
雑巾を手縫いした時の作品(小学2年)の際に
教室内で男子と比較されて小バカにされた事あって
雑巾の出来がそんなにひどいわけなかったと自負
していたのにイラついたんだよね、、(`Δ´)
男女差別される体験というか、衝撃だったね、、
ていうか、程度の差はあっていいじゃないか( ̄^ ̄)
なんなん?!という体験だったな
男女の違いみたいな意識したの、あのあとかもな
あの頃は裁縫自体好きも嫌いもなかったけど
雑巾縫うことにモチベーションなかったかも、、
先生からもらう《合格ライン》お墨付きに
疑問符ついた体験だったね
で、いつの間にかその呪縛を掴まされて生きてきた
それが私の得意とか好きとかの分野じゃなくても
とりあえずできるようにする!努力を課してきた
んでも、、やらなくていいならやりたくないわ。
母親を神格化する呪縛の思考をおろします。。
女=料理上手!とか家事好き!とか
そんなこれまでの概念、うちの子どもたちは
壊してくれてます、Uberイーツな世の中だから
やりたくない!けど何とかやってる、が私の本音
とりあえず生きていく上で支障ない程度、でさ
男は~!女は~!親は~!は。もうやめて、、
へんてこなこれまでの呪縛たち、剥がしていって
もっと気楽に楽しい方向で暮らすことに
意識を向けていこう