脅迫レベルの要求で、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

脅迫レベルの要求で、放ってる事に気づかないで


相手にお願いしたい事を《お願い!》してるつもりで


《叶えなさいよ!》という波動乗せて強要する姿勢



それをやってるときは相当がまん溜めまくったあと


がまんしすぎて《可愛いお願い》レベルから


怖い脅しの《強烈な要求レベル》に変化したもの



まさに相手からみたその姿は鬼の仁王立ち。。


ひどく怖く悲しげな形相で睨んでいるだろう、、


そこまでに拗らせたのは自分に課したがまん要求


脅迫レベルで自分に脅し続けてきた厳しい観念



キャパ越えてるのに、それでもやらなくては!と


無理やり自分をがまんし続けさせてきた強い禁止



何でも自分が責任もって背負う人ほど


簡単に他人に用を押し付けたりができない


そこで頼み事も用件が要求レベルにはねあがっていく


軽いお願いレベル。を頼めないんだ。。


溜め込んでる分相手に放つ願いの重たさがマックス




鬱積しているがまんの波動乗せて放つから、、


たとえば同じエネルギーを自分が受けたなら、、


相当重たくて逃げたくなるようなものだろう?



がまんしい、は。いい波動を出せなくなるんだよ


流れを止めて欲求が要求に変化して強要レベルに


なってる自覚、できてない、、



『やってくれると嬉しいナ』なんて可愛く放っても


腹の中に溜まってしまった重たい波動乗せていたなら


怒りエネルギーが相手に届くんだ



だから、ますます相手は逃げたくなって遠ざかる


重たい愛がストーカーまがいになって相手から


『恐怖だぁ!』と言われて逃げられてしまう形だよね



がまんしすぎて、がまん強いてる自覚ないのは


がまんに耐えすぎたから、、


でも、怒りにまかせて相手に依頼しても選択の自由で


断る権利、断っていい権利はあるんだ



『思い通りにならない!何で!私ばかり!』・・・


・・・それは甘え方が下手、なんだ、、


・・・そして伝え方も下手なんだ、、



そんな気持ちに囚われたときほど、自分に一休みを


押し付けられた脅迫レベルの要求は自分が受けても


恐怖でしかない、、だから



なぜそんなに強迫観念握ってストイックに遂げようと


してるんだ?と自分に落ち着ける時間を与えよう



依頼することへのおそれや諦め、怖さを抱えてない?


頼む事へ罪悪感、ハードル高いと思ってない?



自分が何でもやる人ほど、うまく頼めない


ギリギリまで自分ひとりで何とかしてしまって



周りの力を頼らないから、いざというときに


勇気を出しても最初から相手に対する期待値は


自分の中に残っていなかったり


すね散らかしていて、諦めモードになっていたり



意を決して頼みごとをしても断ることに否定的で


怯えてたりするから《脅し》のような雰囲気出して


要求スタイルが強制的になってるんだ



断ることも苦手、断られるのも苦手


頼るのも苦手、頼られるのも必死



自分のキャパを認識して《ここまではやれる》と


線引きして、できない部分は潔く他人の力を


借りることに罪悪感なく行えるマインド。が必要



小さな頃から手のかからないように小さく問題なく


生きてきた分、自分の望みを伝えたり叶えたりする


そこに遠慮し過ぎて、自分が出せなくて苦しむの



自分がこんな事くらい自分でやりなさいよ!と頭の


罵倒する声に苛まれて続けるから苦しくなるの


がまんすることに慣れなくていいの


頼ったりすることを恥ずかしいと思わなくていい



甘えを封印したから、助けて!が言えないの


でも、人間って支え合いの中で生きてきたもの


ひとりで頑張らなくていい


ひとりで解決しなくていい


ひとりで泣かなくていい



自分が相手に要求する前に自分に課している


強迫観念を、荷をおろす許可与えていこう、、


自分の心が世界を作るから、ね



ストイックアスリートコースに居ないでいいよ