《悪役加工》する脳、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

自分にとっての《天敵》《悪役》《苦手》《嫌》



そんな感情でざわざわさせてくる人を


《私の人生の邪魔な悪役!》認定しては排除したり


《私の幸せに必要ない敵!》認定しては攻撃したり



そうやって、自分の中に沸いてくる不快を刺激する


人間を自分の中から消そう!と躍起になるけど


その人たちが放つ言葉、態度に過剰反応して


《敵意》を持ってる自分の事をまったく解ってない



『なぜこんなひどい事をされるの?』と被害者の


ポジションしか考えられないからだ



こたえは『その観念、感情を表に出していく為』



溜め込んだ悲しみ、怒り、抑圧してきた感情を


自分から切り離して空に還すには不快な感情を


沈めたまま鬱々と抑圧して暮らしてる自分を


救う刺激的な事、起爆剤が必要なんだ



人はつい、直接自分の痛い所を突いてくる人に


悪感情をくっつけて、その人そのものに敵意向けて


やっつけ返そう!としたり思ってしまうけど


やること、考える方向が間違ってる



嬉しい!と喜びを運んでくる事、人と同じように


悲しい!と泣きたくなる事を運ぶ事、人を嫌わない


悲しい事を避けよう!とさけるから、溜め込む


溜め込むから、自分が背中にずっと抱えて重たくなる



重たいから、スッキリさせようともう一度


『嫌!』と言えるような出来事が用意されるんだ


それを抱えて重たくなってる自分を救う為に



その人、事そのものを《悪役》認定しては


自分の溜め込んだ感情くっつけては


どれだけ自分がそれでキズついたか?、を証明する



だけど、証明しても報われないよ


むしろ、その労力、ムダになるよ


勝ち取った気分は一瞬味わえるかもしれないけど


それも自分が捏造した被害者観点からのカタルシス



根本の観念をそのままに放置したなら、また


似たような思考の歪みからくる思考で


気にくわない事がある度に、誰かを犯人に祭り上げ


それを追いかける刑事のように向かってしまうよ



幸せになるのに、排除思考はなれないよ


自分にもある半分の否定をしてるから


嫌い!と感じる反応を見ないようにしてるだけ



極端にゼロヒャク思考、片方しか認めない!と


もう片方を否定、排除思考になってしまう


グレー、曖昧なゾーンで中庸な所にいくには


排除してスッキリさせようとするのは違うんだ



自分なりのこだわり、美学が強いほど、


極端にも向かいやすくなるけど、


どちらもあり、どちらもいい、思考になればいい



厳格な観念を持つほどにその理念に合わないと


削いでしまおうとする戦いに向かう


宗教も、規律も、戒律も、厳しいほどに、、



世界を憂う前に、自分の思考パターンを緩めよう


厳し過ぎる所を維持しようと力を注いで


苦しんでる状態なのに無理して踏ん張ってないか



あんな事言うなんて許せない!とメラメラするのは


自分の辞書にない事を平気で破る人の言動が解せない



思考が正義の鉄槌を振りかざそう!とする時こそ


一旦。自分の観念を落ち着いて見つめていこう



信じてる世界観を壊しにくる奴!と敵意を向けるより


信じてる世界観を壊してくれた解放の人として


見つめる視点を変えていくと、緩めていける



その時、それを越えた自分は以前よりも


寛容な心であれるような視点を手に入れたろう


それをもたらした人を感謝できるように思えるだろう



悪役認定する思考、それは自分にとっての都合悪い人



自分が仕方なく守ってるものとかを破壊してくれる


自分が決まりだからと諦める視点を壊していく


停滞気味になってる人生に動きを一石を投じる人



大きく舵を切る時には起爆剤の必要があるんだ


脳は恒常性に安住したがるけれども、ね


魂はもっといろんな体験を恐れから解放されて


やっていきたい!からね


生ぬるい環境では居心地はいいけど飽きてしまうの




悪い人認定するのは思考の恐れ、信念なんだ


自分の脳の中で判断した《悪役》を自分都合で


加工しているんだ