籍を置く。関係と心、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

会社でも、家族でも、夫婦でも、親子でも、


学校でも、コミュニティでも、地域でも、国でも



そこに《自分の籍》を置く。ってことに


いったいどれくらいの《重責》感じちゃってるの


だろう、、無意識なうちに



家族という単位。を意識する事で同時に


責任と義務感が強まって、やがてそこに


押し潰されていく場合も起こったりする



人間関係が詰まるのは単位的な不都合が起こるとき


そしてそれは自分が余裕なくしてるとき



区切りがなくて家族だから!がなかったなら


人の思考はもっと気楽に向かうだろうか


私が力入れれば入れるほど、バラけていったな



今なら少し解るんだ、自分が目指す理想に近づけて


《収まるよう!まとめるよう!》向かえば


その分、抵抗エネルギーが生まれるんだ



そこにあった思いは『家族なんだから!』だったよ


そのお仕着せ強制的エネルギーが抵抗作り


まとめようとすれば仕方なく従うような状態を作る



これはかつて自分が感じた《拘束》感だ


苦しいから当然笑顔も消えていったよ



籍。という一体感がネットリ義務感つけていたよ


親なんだから!夫(妻)なんだから!子なんだから!


すべてそういう重たい押し付け思考で縛ってたよ



私たちはきっとこの見えないけれども確実に


感じる《くくり》によって精神的拘束と恩恵を


同時に味わって生きているって思うんだ



国も自国民を《守る》ていで国籍を用意して


国籍を置く人には義務を用意して成り立たせ


家の戸籍に入れば家族割や入院時の対応もあれど


なければたとえ同じ家に住まおうともない



人間は帰属意識があって、そこに居たい欲求がある


魂的には自由なのに、地球仕様は属さないと


何かと不都合が起きるからだ



そこに《所属》《身を置く》事で義務が発生して


その所属が求めるルールに従うよう促されていく


会社でも、家庭でも、学校でも、、



誰の《籍》にあるか?


どこの《所属》か?



その区分けがあるなしで、随分違う心持ち


私が今感じてるのはきっとこの義務感。なんだ



生まれれば《うちの子》として籍に入り


 結婚、死亡などで《除籍》すれば抜けて記録される


普段役所に用がなければ特段意識しないことでも


見えない鎖、糸のような関係を作ってる



親子の縁を切るぞ!って口で言っても


手続き上、何も提出変更しなければ《籍》はある


いっそ、他人になれたなら!と苦悩するのは


思考が切り離せてない相手との境界線があるんだ



仲のいい、悪い関係なしに、人のドラマは


血の繋がりあるなしだとか、どこの馬の骨だとか


ルーツをどこかこだわって意識することがある


他人。っていう区分け思考を固めていく


誰の遺伝子。とかね



家の繋がりがあるなしで、人は心寄せたり


心悩ませたり葛藤しているもの、だけど


おおむかしはそんな区切りもなかったんだろう



これも人間やってる間だけの《管理体制》体験だ


根なし草。みたいな籍に属さない人を社会が


歓迎しない体制とってきたから



では、大多数がそうなったなら、、?


籍。の重要性も、細かい区分けも意識しなくなり


もっとフランクなものに向かうだろうか



夫婦でも、他人から家族になるけれど


籍。あるなしで、変わるように感じるその意識ごと


きっともっと簡単に軽く扱われるようになるのかも



明日。ひとりになるけれども《籍》って


会社辞めるときはそんなに思わないけど


家の単位だと、やっぱり考えてしまうもの



抜ける前は怯えていたし、


どことなく後ろめたさを持っていた


今は、まったく、に近くなってきたよ



むしろ何にも属さない私がいるだけ


それは解放。感じてるんだ