子どもみたいな母親の姿が気になってしまうのは
子どもみたいな自分の振る舞いや考え方を
どこか蔑んで否定してるんだ
どこか見下してバカにしてる感が自覚できる
母親、と書いたけれども、結局は自分の中の
かつて禁止した誓約。を逸れる事を恐れてる
恐れてるから、不快に反応して非難したくなるんだ
他人に反応しても、同じだよ
あんな事をしてろくでもない!とか
信じられない!あり得ない!許せない!とか
私より長く生きてるのに!とか
親なのに!とか
何でわからず屋なの!とか
頑固さを非難する意識で観ているんだ
《親としてどうなの?人としてどうなの?》
詰め寄るようなエネルギーで裁いてる、、
人間は裁きたがる、思考クセを発動しては
争いを作り出して裁いてる
自分が信じてる価値観にあてはまらい事を
どうあっても許せない!認めない!と断固戦おうと
してしまうんだ、、それに気づくんだ
そして、自分の人生なのに、頭の中を他人で
いっぱいに埋め尽くしては不満タラタラする、、
トラワレ。に絡まってるんだ
誰の事で頭いっぱいに生きてるの?、、
それって、無意識に出てしまうんだよね
それは母親という存在を見つめつつも実際には
自分が持つ自分の甘えた部分。を《禁止》してる
同じような部分に反応して自分に罵ってるんだ
あるまじき行為!とか
あってはいけない!とか
そうするべきじゃない!とか
誰かの何かを観て、非難したくなるのは
自分の中の道徳心、信条に違反レッドカードを
突きつけたい!というとき
なぜそんなに反応したのか?
どうして気になるのか?
なぜ許せないのか?
心クセを教えてくれるんだ
きっとね、子どもの頃から封印してきた無邪気さを
ワガママさを周りを考えずに撒き散らすような
自己中全開のような態度をする人に
反応するときは、解放したがってるんだ
《あなたももっとこうしていいんだよ》って
遠慮ばかりで、気を使い引っ込めて抑圧する自分を
解き放つ為に起こしてるんだ
強迫観念持ってるハズなんだ
怒られないよう、笑われないよう適切に振る舞おうと
心に決めた過去の自分の誓い、があるんだ
それ、もうやめていいよ、ほどこうよって
サインなのだと思うよ
子どもの無邪気さを非難したくなるとき、
誰かのそういう面に呆れるとき、
自分の《子どもっぽさ》を否定してるんだ
バカっぽい態度、振る舞いを否定してるんだ
どこかすまして、大人ぶって、
振る舞いを注意されないよう、気を張ってる
『あいつはバカだわ』と蔑んで否定しては
『私は違う!私はあんなやつにはならない!』と
結局、意識する分、その思考が『あんなやつ』を
フォーカスして《具現化》が続く
気になって仕方ない=自分もそうしたい!
その言動、その態度、その行い、に反応しちゃう
正方向からしたい!もあるし
不方向からしたくない!もあるし
体感したいんだ、どちらからのアプローチでも
好きでも嫌いでも反応するときは、
自分のセンサーが勝手に動くの
不快だろーが、快だろーが、
自分のwant to《そうしたい!》なの
キラキラ輝く部分だけ見ようと生きていても
ドロドロで真っ黒な部分だって持ち合わせてるの
両方とも包みこむように緩めるんだ
非難したくなるときは、抑圧した感情が爆発してる
子どものような無邪気さを出してはいけない!と
勝手な行動は《慎むもの》!と
《そんな事してはダメ!》と強く否定する思考を
やんわりと解き放ってあげよう
全部ひっくるめてまるごと自分を愛せるように
自分が否定して嫌ってる部分を優しく包みこむように