問題視したがるのは、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

問題視したがるのは、、


自分のやってることを証明したいんだ


『ワタシは正しい!』って叫びたいんだ



そういう状態にある時思考は追い詰められていて


後がない、隙間がない心に余裕ない、、


だから、正しい!をアピールして勝とうとする


《正しさを証明しないと不安でやられる》んだ


それは心がキュウキュウ、なんだよ


不安に駆られると攻撃性が強くなるんだ




追い詰められていているネズミはネコに噛みつく


思考に余裕がないからこそ、訴えたくなるんだよ


正しさを証明しないと生きられない!と信じてる


不安だらけ!なの。自分の辞書にないものに。



聞いたことない考え。価値観。に怯えるの


思考はとてもビビりなの。防衛的に反応するの



人は自分の価値観が基準。


その価値観のモノサシでしか判断できない


だから、正しい!を証明しようと躍起になる



長らく。母親、他人の価値観で生きてきたんだ


だから、いつもおうかがい行動とっていた


それをする自分の事を嫌ってもいたよ



離婚することが問題?と捉えるのは世間体に悪いと


母親が思い込んで禁止してきたから



『そうなんだ、では守らないと』と抑圧する


母親が世間体気にするような人でも子どもは


ガッカリしながらも母親の価値観守る為に


自分の心を裏切って母親の価値観を採用する、、



管理下、司令塔のような母親が脳内占拠して


自分の行動を制御してる感覚に悩まされるんだ


この洗脳、呪いを解いていくんだ



言うことを素直に聞くような子どもだったから


価値観に反抗心持ちつつも逆らえなかったんだ


この矛盾する自分の中の2つのエネルギーが暴れ


自分の葛藤を強めていく



子どもは母親の手元に置いて育てるべき!と強く


呪いのように刷り込まれた思考で縛ってる



だから、私はあえて、検証したくて反対行動を


取ろうとしてきたんだ、証明するために


母親の言う世界観を破壊する為!にね


母親の信じてる世界観と自分が持ってる欲求を


違うものとして検証する為に。。



家族がずっと一緒に仲良く暮らすことが幸せ!


そんな前提があると、


できない部分、到達しない部分がある自分を責めていく


私が至らないからだ!私が足りないからだ!


そういう自責思考で苛め抜くんだ


果たして。それを達成、遂行し続けることで


自分が望んだ形の幸せとやらは感じられる?



いつも仲良くいつも一緒、そういう家庭を用意した


けれども。ストレスだらけだった


なぜなら不自然な自分を繕わないと保てなかったんだ



続けることが大切!美徳!信条!


長らく昭和世代まではこの概念が重たくのしかかり


簡単には逃げられない思考で縛ってきたけど



思うまま、気の向くままの人に非難浴びせてきた


当時の風潮もあって、本来持っていた願望が


奥のほうに隠されていったままになっていた



本来。自由な自分が一ヶ所で窮屈に同じように


いき続けていくこと自体エネルギー使うんだ


かなり消耗してしまうんだ



そして、たいてい親は親の世界観から子どもに


幸せな人生観を押し付けるけどそれが


子どもの人生には余計なおせっかい。なんだよ



まったく親の考える人生をなぞることに任務のように


生きてる人もいるけれど、私は自分の価値観を


採用したい!と当たり前の願望を再燃させた



他人の為に、犠牲的に生きてきた親が結局


愚痴だらけで不満タラタラなら、何の参考になる?


そう。反面教師。だ



その姿をなぞった所で自分の幸せに繋がらないと


解っているんだ、スパッと距離取ろう


その思考も価値観も自分のオリジナルで追求するんだ



イキイキとしている魅力的な人にフォーカスしよう


その人が輝いてるのは自分の魅力を存分に


世界に放って生きてるから



問題視したいときは、自分の価値観を揺らしたとき


それは自分の価値観を広げたり緩めたりする


思考解放のチャンスなんだよ




日本は特に《正しさ、正確さ、失敗》に対して


ギューー!と締め付け感がきついんだ


適当さ。あいまいさも持ってる言葉文化あるのに



正しさと正しさで窮屈に縛り付ける生き方を


やめるタイミングなんだよ