ヒドイ扱いを受けるときは、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

ヒドイ扱いを受けるときは、、


その対象、相手に向けてしまいがちな憎しみを


一旦とめて。



悲劇のヒロイン思考。傾向強くなってない?


穿った視点から意味をねじ曲げて受け取ってない?



自分がその前に、自分に対する評価をものすごく


下げて低く低く蔑んだ感じで罵りまくって


生きてないか?



なぜそんなにヒドイ扱いを受ける?


自分はその扱いをイヤだ!と叫びたいよね


これまで。ずっと言えなかった言葉、だよね




知らず知らずに自分で自分に向けたサイテー非難を


無意識に投げつけて生きてないか?



《ウスノロ。マヌケ。バカ。ノロマ。。》


役立たず。穀潰し。能無し。みたいな意味で。さ



誰かに言われた形でも、その前に自分が持ってる


その言葉へのネガティブなイメージを


自分をキズつける言葉を自分に放ってるんだ



人間が《出来高》《処理能力》《有能》重視で


判断していくと、存在価値をそこにおいたとたんに


苦しくなるだろう?、、



存在そのものと、仕事の処理能力は違うのに。


学校でも、社会でも、そこだけで評価すると


信じてると、そりゃあ、辛くもなるよ、ね



あなたの魅力はそんなもんじゃない、、!!



同じ事を同じ時間内でより早くより正確に!!


そんな部分だけでみていくから辛く感じるんだ


観るところ。そこじゃない、


重要なのは、そこじゃない、、!!



そう。ちょっと心がヒリヒリしちゃうのは


自分がその《能力世界》に添えないから、、


だから、もう降りていいんだ



適応できる、できない、その制限から降りるんだ


既存世界に合わせよう!とすれば余計キツイよね



生きてきた中で、あらゆる言葉をキャッチしてきて


その中には、自分のせいなんかじゃない事まで


自分がいけないからだ、、と蔑んで否定して



自分なんて自分なんて。。イジイジ。。する思考で


拗ね拗ねモードを標準に脳内に垂れ流して


はすに構えた世界で諦めるような生き方を


していないか?、、



世界がまぶしく見えて目を背けたくなるときは、


本来の自分の魅力があるのに生かしきってない


その状態が澱ませて停滞を生み出し


妬みやら、ひねたりやら、拗ねモードに突入



魅力的に映る人に素直に憧れを感じてる人は


自分もまた魅力の出し惜しみをしないで


世界に表現していく人



そこに共振できるのは自分も同じ感性持ってるの


それは本来の自分の姿。自分にもある光なんだよ



ひねってないで、もっと自分の出していきたいもの


表現していこう