控えおろぅ!がない世界に、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

偉い、権威ある、立場が上の人間に


『ええーい!控えおろぅ!』って言われたら


『ははぁーっ!!』って頭低くしてさ、



『この御方がどなたかわからぬのかーっ!』


『この紋所が目に入らぬかーっ!』


そーいうパターン化された勧善懲悪時代劇を


さんざん、子どもの頃に父親と一緒に観てきたのね




問答無用!上の命令は絶対!逆らえばハラキリ!


偉い。という人には服従するもの、、


従属するマインドが長く続いてきた


自分が体験してなくても遺伝子が記憶してる



偉い。ってなにさ。。?(`Δ´)


ひねくれてるワタシはそう思う


立場を利用して人を従えさせてる人のこと?



束ねる人が偉い。と思い込むマインド作りは


じわりじわり、過去の先人の記憶と共に逆らえず


身分越えが難しかった概念の浸透があると思うんだ




《上の命令には絶対的服従しなければいけない》


そのマインド作りに時代劇はうってつけ


圧倒的な象徴がいる、それが人間の思考にあり


どんなに上に立つには不出来な人間だとしても


家父長制度を作って、家庭でも統率を計ってきた



集団で生きる人間の強み弱みをその人間が握る


一国の主の判断ひとつに一族、土着民が揺れる


長い間、そうやって近くに住まうもの同士の結束を


求める都合で、《控えおろぅ》も幅を利かせた



一人で生きるほどのシステムが整ってない時代


生き残る為に編み出した人をまとめる為の


権威だったんだろう




生まれ落ちた家によって身分も違えば制限も違う


《不敬》も罪に問われる決まりまで作って


縦社会の統率、維持を保とうとしてきた




そういうマインドまで、教育システムと共に


日常的に観てきたのね、、



特に、義を大切に重んじるようなドラマで


なんなら、主の為の命かけて身を捧げるものも


ほぼ毎日のようにあちらこちら、年末年始の特番も



《それこそ忠義!》《それでこそ義を貫いた!》


そんな称賛して煽るようなメディアもあって


毎年のように観ていた、、けれども



最近、思うんだ


そういう《時代劇の概念》はもう必要なくなってる


そういう《縛り》から解放される時にあるって



ドラマを楽しもうと思える感じがもうなくて、


あぁ、人間が崇める必要ない世界はもうそこまで


きてるんだな、って



神もそう、人もそう、何かを上に見て自分を下げて


自分を卑下するマインドはもう手放す時期なんだ



国が上、国が偉い、国が守ってくれる、


そういう隷属意識も変わってきている


《控えおろぅ!》と命令されるがままではなく


自分たちが主権を持つ意識を思い出すこと



依存的な思考パターンから抜け出すこと


守ってくれる!と思うことで支配下に下ることを知る



尊敬するこころがあれば、誰のことも崇める必要なく


敬意を持って接する、だけでいい


国家を上に置くのではなく自分たちの存在を尊重する


意識を従属から変えていく



力を誇示して従わせてきた権威から


そろそろ離れて対等な人間として尊重し合う


それこそ、求めていた最終形態