真面目さを緩和していこう、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

真面目ちゃん、、


きちんと守らなきゃちゃん、、


その守らなきゃ!!は。いつ誰の基準のもの?



80億人いたならその数だけある正しさ。


日本では教育システムのおかげ?なのか


ルール違反への他者介入が細かく強いようだ



もし、現代の日本に時計がなくなれば


もっと時間への縛り意識も緩むだろうか


明治以降、時計の存在によってきっちりと守る


国民性がよりあらわになったように思う



裁くこと、に意識を向けるのはおそれてるから


助け合うのも、そうやって飢饉乗り越えようと


生きてきたから



制裁を恐れるのも、稲を奉納してきたかつての記憶


そういうムラ社会の無意識な連帯責任感が強いかも


大陸が無意識に持ってる意識とはまた違うだろう



《自分はなぜ気になるのだろう?》

《何を恐れて裁きたいんだろう?》


そして同時にそれは自分がこだわってる意識を


教えてくれているもの


連帯責任だの、協調性だの、団体行動での態度を


12年は叩きこまれることも大きい



本来、地球上でのルールというのも概念なのだろう


それは実体を伴わないオバケみたいなもの


人は見えないものへの恐怖心を強く持ちやすい



違反者には制裁を!!メディアも煽る(あれは変)


完膚なきまで叩きのめす集団での◯◯チ



素人、関係ない、正義意識強め、ムラ意識、


少し前は自警的なパトロールも、、


根底にあるのは、それを破る人間への怒り(おそれ)


同化してる、境界線越えてる。どうかしてる、、




私が生きてきた世界観は正しい!と信じた観点から


社会規範ではこの決まり守らないと恐ろしいと


自分の行動を制限、禁止、抑圧することに


エネルギー注ぐ


家族。という関係性こそ、案外距離感間違えて


押し付けの正義から裁いて尊厳キズつけたりする



正しさと正しさが争うことを好まないのに、


正しさを握りしめる思考から離れられない


自分が観てきたこと、聞いてきたこと以外を


受けとる余裕、器、心の余白を持てないから



聞いたこともないこと、観たこともないことに


ものすごい敬遠と、無理解、拒絶の反応してしまう



ルール違反には厳しい処罰を!と声高に叫ぶほど


自分にも相手にも向ける監視の目がストーカー並に


違反者を見つけたなら喜び勇んで通報役して


裁きをしてしまう



それは、脳内の快楽ホルモンを刺激するらしく


言うなれば、不幸ネタで〈正義の名のもと〉に


裁定する立ち位置になって権威を振るいたい


隠れた統治者的な支配的欲求がある



自分の言うとおりになる人間をみて喜ぶのは


コントロールしている意識、支配成功しているから


言いくるめたり、やり込めたりが起きると


立場の弱い人間の尊厳保つのは容易じゃなくなる



大人は社会的な統治者がいて、遠く操作されてる


その他に子どもは、家族から身近に操作されてる


常に思考ハックされて正しさの強要受けやすい


それが人間の親子間に起こりやすいこと




本能的に無能、やさぐれて危険なものへの


怒りを強く持っていて、正しいからという理由で


裁きを楽しんでしまう、闇の心がある



それをしようとする動機には自分の正しさを


アピールして、生存競争に競り残り勝つことを


欲求として持っているから


愚かな部分も持ち合わせてるのが人間



誰かの何かを気に病んで裁くことよりも


自分にもっと熱中する意識を取り戻していこう


他人に気を取られるのは人間のさがかもしれないけど



裁くことを快楽だとどこかで自分の価値観を


高めようとしてないか?


それを証明することで、存在する価値をあげようと


してないか?



ワタシは正しい!と主張したくなるとき、


反対側の相手の行動を裁いて非難してないか?


正しさに勝つことで居場所確保しようとしてないか?


敵認定して、相手の存在抹消しようとしてないか?



それ、おそれだよね


最終目標が排除じゃないなら、やめなくちゃ!


仲良くなりたい!のに裁きたくなる思考を


見つめていくんだよ




私はこう。あなたはこう、どちらもそれでいい



正しさでは、幸せな気持ちを味わえない


証明したくなる自分の心を観ていくんだ