『返せーっ』て、何らかのシチュエーションで
たぶんみんな持っていたりするだろう
簡単に取り返せない悔しさが、気分燻らせてたりする
親の視点も、無償の愛を注ぐ対象を育てていくうちに
無自覚に、何らかの期待を持ってしまったりする
『生まれただけで有り難う』
『宝物よ』『居るだけで』
それだけで満足していた、はず。。なのに、親が
ヨユウのない荒んだ状態の心のとき、心ない悪態の
応酬をしてしまうんだ、その態度、エネルギーが
子どもへの自分の居場所の無さを感じさせる
素直にいっぱいいっぱいな状態であったとしても
今ヨユウなくてごめん、と言えるならば救われるかな
子どもは場のエネルギーを吸って生きてるからね
必死に耐える姿、し合う親子はがまん大会万年参加
我が子に厳しい親は自身に禁止だらけ、苦行僧。
家庭に緩みが持てないって逃げ場ないよね。。
自宅が万年厳格道場なんてのは、ツラタン。
楽に生きることを肯定されなかった親なんだよね
ヨハクの無さを感じる虚無な大人が居るだけで
安心して暮らせる土台が脅かされる不安あるから
子どもの母親に対する《期待と失望》は思慕が強い
ほど、執着になる
母親の子どもに対する《期待と失望》は労力注いだ
分、不満のトリガーにもなる
親の所有の勘違い、子どもの執着の恋慕
その思いが勘違いや思い込みからの誤解だとしても
悲しいと感じた自分が確かに居たのなら
許せない思いごと、まずは受容するんだ
過去に戻り、取り返すことはできないけど
許していくと決めると自分が