特に。思春期の女子にはありがちな光景の
『あ、私もトイレいく』という団体連れの行動
年齢的に、親からの母子一体感から自分の
アイデンティティを作り上げるとき
自分がそれまで帰属意識を強く持っていた家族から
友人、仲間という社会的つながりを強く求める
そう。ムラ社会に帰属意識を移し、共に生きる為の
無意識なうちの行動なんじゃないかな?って思った
その背景には、人間は単独では生きられないという
おそれがあるから
どこかには所属して安心を持ちたい欲求を持ってる
それは本能的な欲求
つるむ。ことが増える時期は、それなりに意味ある
人間にある本能的な生存欲求なんだ
なぜなら、そこで外れたなら=命の保証がないから
社会生活でいわゆる落ちこぼれ=生活存続の不安
と思って不安にかられるのも、ふつうなんだ
だって、いわゆる村八分状態に立たされたなら
精神的にも肉体的にも苦痛を感じるからね
帰属意識は人間が安心したい本能的欲求
まったく制限ない世界には生きにくいってこと
話はちょっと変わるけど。。
先日。動画でも稲作の米品質を同等にするために
庄屋どんがまとめてムラ社会を形成してきた話が
あったけど、これは米だけじゃない、って思った
人間も《品質を同等に》教育されている感覚
それが一斉教育、今の社会なんだろうなって
野菜は《規格基準》は高く買い取られ
基準以下の《規格外》は販売もできない
同じきゅうりでも曲がったものは店頭にさえ並ばない
私は曲がったものでも何でも買う気はあるのよ
日の目を見ないもの。って思ったよりあるんだろな
価値基準。同等。まとめやすさ。。
それは、誰の都合。。?
ふと、思ったこと