ムラ共同体意識からの不安、、 | けいのブログ

けいのブログ

リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

特に。思春期の女子にはありがちな光景の


『あ、私もトイレいく』という団体連れの行動



年齢的に、親からの母子一体感から自分の


アイデンティティを作り上げるとき


自分がそれまで帰属意識を強く持っていた家族から


友人、仲間という社会的つながりを強く求める



そう。ムラ社会に帰属意識を移し、共に生きる為の


無意識なうちの行動なんじゃないかな?って思った



その背景には、人間は単独では生きられないという


おそれがあるから


どこかには所属して安心を持ちたい欲求を持ってる


それは本能的な欲求



つるむ。ことが増える時期は、それなりに意味ある


人間にある本能的な生存欲求なんだ


なぜなら、そこで外れたなら=命の保証がないから



社会生活でいわゆる落ちこぼれ=生活存続の不安


と思って不安にかられるのも、ふつうなんだ


だって、いわゆる村八分状態に立たされたなら


精神的にも肉体的にも苦痛を感じるからね



帰属意識は人間が安心したい本能的欲求


まったく制限ない世界には生きにくいってこと



話はちょっと変わるけど。。


先日。動画でも稲作の米品質を同等にするために


庄屋どんがまとめてムラ社会を形成してきた話が


あったけど、これは米だけじゃない、って思った



人間も《品質を同等に》教育されている感覚


それが一斉教育、今の社会なんだろうなって


野菜は《規格基準》は高く買い取られ


基準以下の《規格外》は販売もできない



同じきゅうりでも曲がったものは店頭にさえ並ばない


私は曲がったものでも何でも買う気はあるのよ


日の目を見ないもの。って思ったよりあるんだろな



価値基準。同等。まとめやすさ。。


それは、誰の都合。。?


ふと、思ったこと