不安。自分の中にいる《お節介な批評家》、、 | けいのブログ

けいのブログ

リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

自分のことでも思ったけど、


先日母親とのやりとりで気づいたこと



それは、自分の脳のなかで常に


《批判されないための判断をするやつ》が暴走して


その《先走りする批評家》がいらない不安、心配を


事が起こる前から、豊かな妄想でこさえてしまうんだ 



なんて、想像力豊かなんでしょう。。!


そのベクトル、違う方向にむけたなら想像も


楽しいほうにいかせるのだけれど



不安避けのために、エネルギーをその避けることに


使って不安にならない未来を意識して引き寄せてる


その想像力の使い方。。避けることに全力なんだ



つまり。世間の目。という妄想に囚われていて


その世間並みというあいまいな基準に縛られてる


とりつかれたように信じているんだ


《そうしなければならない!》とかたくなに、ね




どうやら、脳内ではわちゃわちゃと賑やかに


《いかに自分が得で安全であれるか》という守りで


おそれを遠ざける為に画策する思考クセもってる


そう気づいたの。。



《世間に顔向けできない》《迷惑かける》


いや、そんなに問題じゃないよ、と伝えても


本人の頭では常にアラームが最大級に鳴っている



だから、世界=安心できないと信じていて


世間=自分を評価する看守のように思っている



そのベクトル。想像力。


世界はもっとイージーでいい。


とインストールできたら、きっと


別人のように《楽チン、楽しい》想像力で


自分の世界を彩っていけるだろう、、



これは、母親を通した自分への気づき。


自分の意識は人間ならではのクセでつい、


不安から逃げるほうに画策する方へ引っ張られやすい



その意識ベクトルだと、ほんとうにそうなるから


大丈夫だとまずは安心できるように意識していく



不安になる状態は圧倒的に土台に安心がない


自分の土台に安心で満たしてあげるんだ



不安探しの思考クセなんてもういらない


世界を誰かの基準にしない。妄想しない。


ベクトルを光に向けていこう