自分のことでも思ったけど、
先日母親とのやりとりで気づいたこと
それは、自分の脳のなかで常に
《批判されないための判断をするやつ》が暴走して
その《先走りする批評家》がいらない不安、心配を
事が起こる前から、豊かな妄想でこさえてしまうんだ
なんて、想像力豊かなんでしょう。。!
そのベクトル、違う方向にむけたなら想像も
楽しいほうにいかせるのだけれど
不安避けのために、エネルギーをその避けることに
使って不安にならない未来を意識して引き寄せてる
その想像力の使い方。。避けることに全力なんだ
つまり。世間の目。という妄想に囚われていて
その世間並みというあいまいな基準に縛られてる
とりつかれたように信じているんだ
《そうしなければならない!》とかたくなに、ね
どうやら、脳内ではわちゃわちゃと賑やかに
《いかに自分が得で安全であれるか》という守りで
おそれを遠ざける為に画策する思考クセもってる
そう気づいたの。。
《世間に顔向けできない》《迷惑かける》
いや、そんなに問題じゃないよ、と伝えても
本人の頭では常にアラームが最大級に鳴っている
だから、世界=安心できないと信じていて
世間=自分を評価する看守のように思っている
そのベクトル。想像力。
世界はもっとイージーでいい。
とインストールできたら、きっと
別人のように《楽チン、楽しい》想像力で
自分の世界を彩っていけるだろう、、
これは、母親を通した自分への気づき。
自分の意識は人間ならではのクセでつい、
不安から逃げるほうに画策する方へ引っ張られやすい
その意識ベクトルだと、ほんとうにそうなるから
大丈夫だとまずは安心できるように意識していく
不安になる状態は圧倒的に土台に安心がない
自分の土台に安心で満たしてあげるんだ
不安探しの思考クセなんてもういらない
世界を誰かの基準にしない。妄想しない。
ベクトルを光に向けていこう