いくつだから、この世界を去るとか
そんなの、わからない
そんなの、順番とかじゃない
そんなの、決めてきたけどわからない
けれども。朝起きるとき
その1日がふつうに過ぎることを信じてる
けれども。夜寝るとき
明日の朝をふつうに迎えられると信じてる
当たり前にそれがやってくると信じて、、
そう。毎晩寝ているときにしんでいるというけれど
あれやこれやとこの世界の何かに囚われてしまうと
そこに意識がフォーカスされてしまい
念になるくらい、ある意味凄い集中で
《明日もその先も、ずっとある》と思いがち
カレンダー。時計。スケジュール。。
日常では様々に次の予定に思考が抑えられてる
ココロが現在に居ることが難しい現代人
予約、予定、常に先に視点がある、、
故に不安を抱えやすいんだ。未来=見えない不安で
そして焦らせてくる感覚が更に自己を見失いやすい
今に没頭、集中して生きてる?、、
目の前のものを五感で感じられる?、、
明日、この世界を去ることなんて考えもしてない
明日、この世界を去ったとしたなら
明日、この世界を去るとしたなら
今。抱えている地球上での所有物はすべて
何もかも御返しして、持ってはいけない
魂ひとつと体験した記憶(記録)だけ
見渡せば、オギャアと生まれてからたくさんの
付属させてきたものと一緒に
歩かせていただいたんだ
何をとっても《わたしの!》なんて言えない
ついさっきまで、執心していたことさえも、、
手放ししていく、、
そう。所有している錯覚が人間のおおもとの悩み
自分だって、自分だ!という所有概念こだわるから
悩ましくなってしまうからね
思考過多になりがちな頭の中に
いったいどれが《自分の思考》というものがある?
その思考さえ、知らない人間に占拠されてない?
そう。自分を追求すればするほど見えなくなる
謎の多い人間というもの。愛着ある自分。
しんでしまえばなくなる、所有欲も、愛着も。。
明日、その愛着ある自分とまた会えるかな、、
朝、会えるかな、、
少しだけでも、自分の夢に近くなれるよう、、
おやすみなさい。。