足そうとする《動機》、、 | けいのブログ

けいのブログ

リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

ふとすれば、何かとコマーシャルが


差し込まれている現代



むかしなら、ポストに入っていて


みないうちにポイッと捨てることもあったけど


動画を観たいと開けば、同時に


すぐさま始まってしまうんだ



消費されることを前提にした世界だから


その内容も常に《足りない⇒買う》を煽る



本来の体には、すべてが揃えられていて完璧。


見えてない内側ではずっとはたらき続ける細胞たち



だけど体調の均衡崩れたくない、すでに崩れた場合、


これ以上の不安を抱くのはイヤだ!と思うから


その恐れ、不安から《足して補おう》と思うもの。。



それは、健康食品でも、化粧品でも、知識でも、


足りない!と思うほどに《ないと大変!》と思うもの


そう。すでに、思考が誘導されていたりする



テレビ以上に最近は特にネットはその傾向。。


脳内が常に恐れに囚われている場合、過剰に反応する


そこに《これで大丈夫!》なんて謳い文句があると


とりあえず手に入れようかと考えてしまう、笑。。



足りない。足りない。の思考に囚われているんだ


日常的に、こうやって。



はるかむかしの人間が今の時代のように


飽食に生きてきた?化粧品塗らないといけなかった?



もちろん、足そうとするのがいいときもある



洗脳って。知らず知らずなんだ。


視覚聴覚がずっとそれにさらされて感覚が鈍るの


だから、焦っているときと同じくらい判断力鈍るの



あれがいい、これがいい、って。一様に思い込んでも


ひとりひとりのその時の体調、特徴も違うのに


信じるのは、自分の感覚なのに



足そうとするとき、たいてい恐れが暴れてる


腎臓、脳内の不安感が半端ないんだ


そんなときこそ、一拍するゆるみが大切




誰かの何かを固く信じることはかえってキケン


なんたらダイエットを煽るのと考えが同じ


根拠なくても、体がこたえをくれる



誰かに合っていても、自分とは違うもの


自分の声を大切にしよう


何かを足そう、足そうとするよりも


引き算していくくらいがちょうどいいと思うんだ



すでに備わっている体のはたらきを信じるんだ