育ってきた環境の影響はとても大きいけど
気づけば変えられる
母親の受け取り下手のためか、私は下手みたい
変えていこうとしてるところです( ´∀`)
こんな働きじゃあ、お金に見合ってない、だとか
こんなにいただいたら、それ相応の働きしなくちゃ
とかとか、、(´;ω;`)追いたてて追い詰めて、わー。
今。ふとこんな思考が刷り込まれていたことに
気づきました(>_<")イヤだー!
あぁ!だから、お給料に見合った仕事になるように
自分にむちうって、もっと働けって頭で指令して
ヘトヘトになるまで、くたびれてもうご勘弁!
というまで、アリのように動かなくちゃって
そんなノンストップなロボットと化して。。
おつとめしないといけないって追い詰めてきたのね
これ、給料もあるあるで
家庭の主婦の家事も、あるあるなんだ
お金に感情と労働とをくっ付け過ぎてる。。
いくらもらったから《見合う仕事》って。。
《あいつは(私は)それに見合ってない》とか
《あいつは(私は)サボってる、給料ドロ》(>_<")なんて
おかしな引っ張りあいのマインドになるよね
このマインドあるとね、、辛くしていくよ
なにもしないと罪悪感だとかね、
ボーッとするのをできなくなるの、、(´;ω;`)
時間がもったいない、という口ぐせと共に。
名もなき家事なんていくらなんだい?(*_*)
家庭の笑顔はいくらなんだい?
ファーストフードのスマイルは、ゼロ円だけどね
コップ運びやら、洗濯たたみやら、もろもろある家事
人の行動ひとつひとつをお金換算していたら、
ココロは疲弊してしまうと思うんだ。。
子どもに対して言わない言葉も、パートナーに
それをやって!と言いたくなるのはね、
自分の奥底にねぎらいが欲しい要望があるんだ
⇒私がんばってるよ、偉いでしょ?ほめて。。
ありがとうって言って!って隠れた欲求あるの
⇒実際には誰も案外言わないから不満になるの
(外側にテイカーマインド、クレクレだからもらえない)
このほめて欲しいココロが、拗らせていくと
《やってよ!ズルい!私ばかり損!》ぷんぷんっ
ただ、ほめて欲しい、労って欲しい、、
男も女も関係なくて、ただその甘えの欲求が
拗らせてしまうと、怒りからの表現になり
ケンカ口調に発展するんだ
お金に換算しようとするからつらくなるんよね
代替の思考、等価価値の労働条件。。
疲弊するマインドがそこに無意識にあったんだ
苦労してなんぼだとか、昔の人はもっと働いたとか
つらくなる話で《それに比べて私はマシ》と
ルサンチマン思想の比較をやってきたんだ
さんざん聞いてきたなあー。。もう終わりだー。
昭和のど真ん中は、ど根性、がまん、耐えろ、、
その前の世代は更に国全体が忍耐、従属的
こないだの電話でも、母親は受け取りできないって
思考クセが固まっていたんだよね。。
今。いらない思考を脱ぎ捨てていくことで、
地球全体が忍耐⇒がまんしなくていいエネルギーに
変わっていくと思うし、変わってきてると思ってる
気づいて、これからはね
私、受け取り上手になる!!(*´ω`*)