役にたてない、役にたたない、、
そんな《状態、事象》のとき、
必要以上に自分のなかで、
自分ができないことに対して罪悪感を持っている
何もしない、できないことに
必要以上に無価値観、劣等感を絡めている
そんな自分をさらに《情けない》と叱咤して
頑張れよ!自分!と責め立てたりしている
これ、なにげにずっとしてきた。。
自分への虐待行為。。
俯瞰して客観的にみれば、
『今はムリよね。休もうよ』
『休む必要だから体がいうこときけないだけよね』
『できる人、タイミングに頼ればいい』
『それは誰かのやる仕事だから任せればいい』
『寝よう。笑』『はい終わり。次!』
とか、できる、できないという事象だけの事に
たくさん不要な観念はりつけてることに気づいて
冷静に事象と区別して判断できるけど
ふだんから、自分に自信なくて
物事を提供することで存在価値を見いだしていると
ダイレクトにダメージを覚えるクセをつけてる
違うんだ。勘違いなんだよ。。
何かが起きたときに、いろんな要らない観念を
たくさん、つけてきただけなんだよ。。
自分の《できなさ》にフォーカスして
おとしめていることに気づこう(((^_^;)
何もしないと、居心地悪く感じる?
それはなぜ。。?
差し出さないと『いけない』『価値がない』と
出来事にくっつけて生きてきたクセをやめるんだ
そうしないと生きていけない、って
幼い心を痛めた勘違いの結果だったんだ
誰かの決めた基準に合わなくてイライラされたら
それは自分が《ダメ》なんじゃなくて、
相手が押し付けている基準と違いがあるだけ
そこに『合わせられない=ダメ=悪い』という
要らない観念の方程式を持っているんだ
なぜ合わせられない=ダメ。。?
そこを見ていこう。そう思い込んだ過去の何か
捨てていこう、そんなもの
効率的に、基準に、平均的に、合理的に、利潤で
合わせることを求められてきたから
その箱に、枠に収まらないと《ダメな烙印》を
自分で捺していなかったか、、?
はるかむかしから、役にたたない人には穀潰しとか
容赦ない言葉を残してきた背景には
働かないやつは、ただめし食いで重荷だと
ののしる過去の想念があるんだろう
飢饉の日常だったからね
役にたたない=ダメ=悪、、?ほんとう?ううん
違う。生きているこの時この自分が感じた世界観が
地球のピースをかたどっているんだ
罪悪感も劣等感もなく、呼吸している自分の
この一瞬一瞬を感じることで
同じ色のない世界の彩りをつくる一員なんだから
母親を笑顔にできなかった罪悪感も持たなくていいよ
それより自分の笑顔を作れることをしていこう
自分が自分を救うんだ、自分に与えるんだ。
スーパーヒーローはわたしだから