生き方、在り方を知る為の経験、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

家族ってどんな感じが理想像?


そんなの、それぞれでしょ、、うん、でもね


わたし、機能不全、不穏な空気感が漂う家庭で


バランサーみたいに生きてきたんだ、、



まあ、自分がそうすることで保身に走ったって事


だって頼まれたわけじゃないし、ね



苛立ちある親の問題がこちらにこないように


火の粉を払って生きてきたんだ、トラブルに


巻き込まれることはご免だから、、



無難に生きるって染み付いた逃げ腰の姿勢が


いつの間にか『不』がたくさんの生き方になってたよ



それは、逃げみたいなものかもしれないけど


自分が自分の生きる場所を確保する為の


必要悪な処世術だったとしよう、でも、終わりにしよう



アダルトチルドレンとかいうカテゴリーに入るのかな


でも、多かれ少なかれ、完璧な人なんていないからさ



最終的には、いろんな側面あるって事を受け入れて


特に、足りない、できないって思い込んだ部分を



ゆっくりでもいいから、少しずつでも


許して受け入れて、その部分さえ


愛して。いとおしく思えればもう、



それこそ、完璧じゃない自分も他人も『あり』で


いいじゃんって言える最強の完璧マインドになるよ



なぜだか、足りないできない部分にフォーカスして


嘆いてしまうクセ、それが人間なのだろう、、?


そういう環境に長く居たから?かもしれないよ



そのクセに気づいて、違う人、違う考え、違う選択


それらをもっとゆったりしたまなざしで


尊重して生きていきたいんだ、そうするんだ



現代社会はとても便利である程度あれば


ひとりで生きていけるって思ってしまう



けれども、それがこれまでの助け合い支え合いを


必要としない世界(楽だけど深く入り込まない関係)


にもつながり《心の絆を育む時間》がないんだ



ひとりで生きているって錯覚は万能感を満たすけど


同時に人間の傲慢さも愚かしさも浮き彫りにする



《おかげさま》の心が消え見えずらくなってしまう


思い上がった人間にならないよう生きているつもりで


それを目にしたなら、自分を見つめる時間を取る戒め



現代に生きる私(たち)は、体は肉体的には


命に関わる程の飢餓状態には陥りにくくても、


心のほうは、逆に見えないけれども確実に


自分の本音を出しにくい(モノ溢れても埋らない)


ウツ不調、様々な名前の症状を起こしてる



そんな世界を《助け合い支え合う》絆を


心の奥から灯る、温かく望んだ感情を揺らす出来事



思い起こしてくれるきっかけにもなる天災などは


神さまの現代社会への愛。かもしれないって思う



途上であってもがくことさえ、この感情を味わうのは


人間やってる今しか体験できない経験なんだもの