幸せを祈る人のいる幸せ、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

その人が幸せであることを


そばにいても、いなくても


祈ることができる存在がいるって



愛する対象がいるって


心をあたたかくしてくれるんだ



誰にでも、ひとりは必ずいるんだ


それはエゴ愛のない気持ち


ただ、幸せを感じることが多いことを願う気持ち



離れて暮らしていても、通じあえる想い



純粋に相手の幸せを願う気持ちは


すーっと届いてその人を守る護符になる



相手の幸せより自分のエゴ愛で不安や念を


押し付けると、それはベッタリのろいにもなる



《遠くの身内より、近くの他人》


大きくなれば家から離れて暮らすこともある


その人が抱えている何かを知らないことが増える



血肉のエゴが、いさかいにつながることも


けれども、根底には必ず愛があるんだ


示しかたがエゴ愛だと不安ベースで要らぬ心配から


すーっと届かないだけ、、



次々とやってくる日常の、こまごまとした出来事


波のない人生が最高?それは幸せとは違う


幸せには定義なんてないんだ



ただ、そこに張り詰めて揺らいでいたなら


少しだけでも、安らかに対処することができるよう


祈ること。親なら、特に必要以上に手を出さないこと



立ち上がることを自分でできることを信じて


あたたかく声掛けして、時に適量の力を貸して


見守っている姿勢。一人の大人、他人として。



親はなれ。子はなれ。いくつになっても、


子どもは《自分のエゴ愛満たし》で操ってはだめ



でも、幸せであることを祈ることは


わたしにとっても、幸せな気持ちだから祈るね


これからも、よろしくね。ありがとう。



雪の降りた寒い1日をあたたかく想い過ごそう