ブラック私もホワイト私も、、 | けいのブログ

けいのブログ

リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

いくつもの顔を持っている


いくつもの普段現さない側面を持っている


表の顔。裏の顔。



どんな人でもいろんな顔を持っている


自分のそれを100%知り尽くしてはいないだろう


だからこそ、他人という存在が


自分の輪郭を教えてくれる



そこには、親にも見せたことのない


ブラックな自分がいたりする


いや、親にだからこそ見せない顔がある



『悲しませたくない、嫌われたくない』


そう信じている部分がある



自分でもびっくりするくらい


真っ黒で腹ぐろなその一面を



あるところでは平気でさらし


あるところではうまく隠して生きている



ほんとうのわたしを知られたら、!



、、さらけ出す必要なんてないけれど


知られたら、!とどこかで恐れながら


生きていたりする



何もかもオープンな自分になるとき


母親でさえ見たことのない存在が


ひょっこり顔を出すんだ



演じている、のではなく


自然と使い分けている


それは生きていく為に身につけた知恵と手段



嫌われたら生きていけない、って


どこかで思って育ったのかもしれない


その隠れた顔があればあるほどに


生きづらさが顔を出す



はたからみたら、すべてを手にしているような


そんな人にも、人知れず


抱えたブラックな自分がいて


無意識にコントロールされているかもしれない



つまり、完璧になろうって


親の期待に応えること=愛



そんな勘違いをずっと抱えて生きていると


それを破壊してくる存在に怯えて


嫌ったり、牽制したりするのでしょう



彼らのそれまでの『正しい世界観』が


崩されたなら生きていけない、って


守ろうと構えるから



自分にとってのクラッシャーは、価値観を変えるけど


危険として『攻撃対象』になりやすい



壊されたくない、変わりたくない人にとっては


脅威そのものなのかもしれない



人と人がぶつかるとき、


親に見せたことのない


激しい感情が目の前の存在にわいたりする


抑圧。親に逆らうことなんてしなかった分、



その隠れた顔を見せて、『私の一面』を


知って受け入れて!と甘えと拗ねが混じった感情を


さらして愛の度合いを推し量ろうとして



大概、そこには理解とは真逆のエネルギーが


絡まりあって、離れていく



遠いむかし、親に甘えたりなかった、、


わかって欲しかった、悲しかった、、


そんな寂しい心のまま見た目は大人になり



誰しもまさか、こんな一面あったのか


とびっくりすることも出てきたりする



大切な人になら、なおさらに


拗らせて、言いづらくて


関係性をややこしく狂わせてしまいがち



だけどね、そんな自分は、ふつー。


そんな自分は不器用な表現しか知らなかっただけ。



たくさんの側面も、ふつー。


ブラックな私もふつー。


そして同じように、ブラックなアイツもふつー。



カッカッするのは、敵視しないと『危険、やられる』


ってエマージェンシー鳴らすから



許す。解放するって


ルーツを解きほぐすと見えてくる


あぁ、哀しみが溜まっていたんだねって。



怒る=悪いこと?じゃない


怒る=怒りを出してはいけない、って思ったことが


間違いだったんだ、リリースする時がきただけ。



目の前の相手がそれをスルーしても、、


『哀しみ、怒り』を相手のせいにしない


出すときはそっと、自分に寄り添っていくの


あぁ、やっと出せたねって。