さよなら、ステレオタイプ、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

今まで、たくさんの


思い込み、思わされてきた価値観



根拠ない、多数派的なありよう、、


そうでないといけない、って感じてきたこと


そこからもれると、存在の危機を感じてた



サザエさんちのような団らん


頭よいスポーツ万能スーパーヒーロー、笑


悪代官は大岡裁きで勧善懲悪


1日三食、規則守る、枠に収まる良い行い


優秀とか、順位とか、環境とかそんなものもすべて



持っているから幸せ、じゃあないよね


でも、知らないうちに洗脳されてきたよ



わからない、見えない基準に


大多数があわせるから、という


自分の意見や考えさえない決定



人が生きながら、生きてない感覚になるのは


こうしたことが常態化しているから



人それぞれの感覚で幸せは違うのに


それがわからなくなるんだよ


考えることさえなく、、




無自覚なうちに、自分を出していくことを


忘れてためらって、知らず知らずに



陰のような存在になって、消えた生きかたを


選んでいたりするんだ



それを、後悔することはない


きっとそれも、大切な気づきのためのきっかけ



尊敬していたい人をできないとき


愛したい人をできないとき



とてもこころを傷めてとても苦しく


とても悲しい気持ちになってしまう


ましてや、いちばんに愛したいと願う存在ならば。




そして、愛せない自分に対して責めてしまう、、



そんな不器用で、愛せずにいられない存在


それは、自分




どんな時も、どんな生き方をも、


愛したい 、自分を許したい



だから、キライな人がいて、それを


いけないこと、と責めている自分さえ


愛おしい存在だよって



いけないこと、と誰が決めたの?


なぜ、キライが悪いって感じたの?


好きだけをヨシとしてない?



同じように、母に従えないことを


ごめんなさい、、と思いながらも



自由になりたくて、もがく自分を


罪悪感なく、受け入れてあげようよ



だって、母に従えないことは仕方ないんだよ、、


従うことをヨシとしていたんだよ、ね、、



そうしないと、生きていけないって


思ってきたから、、



不機嫌がこわくて、不安感強くて


自分から相手に対して下手に生きてきた


長いこと、、



でも、それは誰にとっても不幸だってわかったよ


わかって、それまでの生き方が


幸せになれないと、気づいたよ



棄てきれないまわりに振り回されないで


今の自分だからこそ、



さよならをいえる


ステレオタイプな価値観に