多分 道理・道徳というと
そんなことわかっているという人がおられると思います

人が人として生きるときに
人の道にあっているかどうか

人の道とは
自分も他人も同じように
いたわることができる道であるべきなのですが

日傘をさして自転車に乗る人が大阪ではよくみかけます
そのたびに歩行者が よけなければならないのです

学生がむれをなして電車に乗り 
大きな声で話し座席を占領してしまう。

少しつめてくれるともう一人はすわれるのに 
座席にかばんを置いて携帯メールをしてすわっている女性

こんな人たちに 
自分と同じように人をいたわる感覚はあるのだろうか

人を傷つけたりしていないから
これぐらいたいしたことじゃないからと思っていませんか

脳の働きには明確性がいります
これぐらいという感覚は 脳の中では認識されません
ですから 脳の中では 
他をいたわることはしなくていいということだけが
認識されていくのです

脳は動詞が優先的に動きます
あいまいな言葉では 動けないのです。

ですから どんなときにも
明確に指示指令を脳にすることが必要です

ほんとに人として道理にそった生き方をするためには
これぐらいならという考え方をやめることです

これぐらいとうくせは 妥協とあきらめ 
困難を乗り越える力がなくなっていくことにもなります。

。。。愛羅。。。。