こんにちは、桜澤愛羅です!




毎日寒くて辛い、気圧の変化で体調が変わるので冬は本当に辛いです

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?




今日は2023年5月下旬に婦人科入院手術したときのお話を…





何度か話してますが2023年5月下旬に手術しました

子宮全摘です

きっかけは2022年12月末の胃炎でした

胃炎で病院へ行ってまあまあの痛みだったので腹部エコーして見つかった子宮の異常、すぐに中核病院以上の婦人科へ行くように言われ年明け1月下旬渋々近所の中核病院の婦人科へ

ちなみに胃炎は1週間後治りました




内診中に

あれ?これ癌か?

と先生が一言発して…

桜澤の顔面は多分一瞬で蒼白に…体は硬直し全身からスーッと血の気が引いた

一応気になるから検査しようと言われ細胞検査

ビビりながら2週間過ごし検査結果、初期の異形成と子宮筋腫と診断され、その場で以前婦人科でお世話になったドクターのところへ行きたかったので紹介状を書いてもらいその先生のところへ




2月中旬に14年ぶりに再会した別病院勤務の昔の婦人科主治医、しっかり桜澤の事覚えててくれた

開口一番、久しぶりだね~、僕がどうしてこの病院にいるってわかった?だった

14年前手術してもらった病院とは違う別の病院に変わってて、検査結果待ってる2週間の間にネットで先生の名前を検索して移動先の病院を見つけてた、検査結果次第で先生の所に来ようと決めてた

以前の病院とそう距離も変わらない、桜澤自宅から車で30分程の所に移動されてたので遠くないし、行こうって決めてた




紹介状を見てもらいながら内診もそこそこに話し合いが始まった

先生には今は薬で様子を見ようと言われたがたとえ数%でも将来癌になるかもしれない小型爆弾を抱えて生きていくほど根性のない桜澤は子宮摘出の信念を曲げなかった


当時の家庭事情は…1人娘は22歳、主人は51歳、桜澤は46歳なので新たな子供を作るなんて1mmも考えてない

それと毎月の生理はほぼほぼ苦痛な時間であった

生理痛で腰からお尻、太もも、膝まで下半身の激痛が2日続く…ロキソニンはお友達☆と言うか親友、生理3日目までは毎月のように寝込んでしまう


その現状の話も話しながら30分程外来診察で先生と治療方針を話したが子宮摘出の信念を一切曲げなかった桜澤に先生根負け、その場で手術の予約にこぎつけた




参考資料として14年前の手術同意書や先生が当時記入した保険会社提出用診断書控え等を持参してた

前の病院の桜澤のカルテを持ち出せる事はもちろん無く資料がないと思い持ってる限り最低限だが参考になればと持っていった

桜澤は全ての重要書類はクリアファイルに挟んでずっと置いておくタイプで…

家にちゃんと残ってたw

先生、めちゃびっくりしながらも資料内容に喜んでくれた




そして5月下旬、予定通り入院手術できた




手術は無事成功だったが腹腔鏡術だけの予定が開腹術になった(事前に術中急遽その場で開腹術になってもいいとサインしてた)
子宮と卵管をキレイに取り除いた
両方の卵巣は問題なくキレイだったので切除理由がなく、何よりホルモンバランスが大切で…なるべく必要なので体内に残された



子宮筋腫大小合わせて3個と子宮全体に重度の子宮腺筋症、子宮頸部の異形成…これが最終病名



桜澤32歳の頃この先生に腹腔鏡で子宮内膜症によるチョコレート嚢胞を切除してもらってた経緯があるのだがその頃よりもめちゃひどい子宮内の癒着が多数あり想像以上の重症だったので開腹術に切り替わったとのこと、最終結論手術して子宮切除してよかった案件だったそうで…
ちゃんと術前検査でMRIもやったけど実際直接患部を見ないとわからなかった…とも言ってた
桜澤の信念を貫いて正解だった
少しでも年齢を重ねない間に手術したいもんね~



術後は年齢の割には寝込むことなく翌朝導尿が取れてからは良好すぎて…
月曜入院、火曜手術、土曜退院予定が1日早い金曜退院になった、桜澤のホームシックも多分原因の1つ(笑)
点滴は木曜夕方に取ってしまい、木曜夜からはただ病室にいるだけの状態だった



金曜の朝食後の先生の回診でいきなり今日退院して帰りたい?と聞かれ帰りたいですと即答、今から家族の迎えが来れるか確認され主人、その日偶然会社を休んでたので迎え来れます、私もめちゃ帰りたいですと伝えたら急遽退院が決まった
これ以上は体力の回復に努めるだけで…治療としてはやることはもうないと言われた

急に決まった退院にバタバタと退院荷物の片付けをした
回診から2時間程で退院した
桜澤自身も術後、家に早く帰りたいと夜になると毎日看護師さんに泣きつくほど元気だったのもあったのかな?w



退院後、体力低下がやはり激しくトイレ以外はなるべく安静にする1ヶ月だった
声は元気だが体がついていかない
食事担当は娘22歳(当時)
家事するのに心配ない年齢なので安心
花嫁修業だと思って家の事をしてほしいとお願いしてた



1ヶ月程して普通の生活ができるようになった
そして術後1ヶ月検診を迎え先生との別れが来た
急性期病院だったので今後は紹介元の地元中核病院へ行くよう言われた
K先生、2度も世話になりました、本当にありがとうございました



退院から今で約8ヶ月、あの辛く重たい毎月の生理は一切無くなり生理が来る度寝込んでいたのだが…子宮も生理も無いので寝込む事も無くなった
子宮がんリスクも一切無くなり気分も体も快適そのもの(卵巣がんリスクは人並みにあります)、残ったのは開腹術跡の5cm程の手術痕(ビギニラインに沿って横切り)と腹腔鏡の1cm程度の手術痕が左右の腹部に…腹腔鏡の跡は数年後多分消える(前がそうだった)
開腹術の跡は今は痒い、ウズウズするぐらい痒い、毎日オロナインH軟膏塗ってます(特に処方薬無いので、家にある軟膏を)



それにしても術前の下剤(マグコロール)、桜澤的にはこの世で一番不味い飲み薬でした、匂いから既に飲みにくく、飲むと本当に厳しかった~
生レモンを数百倍濃くしちゃいました~って味に感じました
1口1口水を飲みながら飲んだのですが口が、舌が受け付けないんです
飲み切るのに1時間10分かかりました




今となってはマグコロール、笑い話になるいい経験です
術後、桜澤は1ヶ月ほどで更年期障害になります
その話もまたそのうちにブログアップします



今日はこの辺で(@^^)/~~~