「○○先生とあいぽんさんがまた話している。」
「○○先生が外来に来すぎ。」
「あいぽんさんと○○先生は何を話しているの。」
「また勤務中に話していた。」
仲良しの先生(40代後半)と話しているのが気に入らないのか、ベテラン看護師たちから言われたことです
驚きなのはベテラン看護師たちだけでなく
他のスタッフも言ってたってこと。
わたしに直接聞けばいいのに陰で言ってた
ベテランの人たちもいろんな先生と話しているし
他のスタッフだって先生たちと話している。
いっつもかっつも話してないし、
勤務中に暇な時間あったら他の人だって
話してるのに、です
やっていることは同じなのに、何故かわたしとその先生が話す時だけそう言われるのだ。
先生愛が強すぎる看護師が多いせいかな
話そうが話さまいがどっちでもええやん
と思うんだけど…
そんなある日。
わたしがこの人になら話してもいいかもと思って信頼して話した内容が
何故かベテラン看護師に詳しく伝わっていた
なんでこれ知ってるのという内容を
○○さんが言ってた、とベテラン看護師が言ったらしく。
信頼して話していたのに、そんなところから
回り回って話が返ってくるなんてショックで
人は、話す相手を間違えることがある
そうやって失敗しながら学んでいくのだよ
けど、どうしても自分からその人に
「あなたを信頼して話したけど、本当にベテラン看護師の人たちに言ったのか」
について聞きたかったのだけど、どうしても聞けなくて
後日、彼女の方から「話したいことがあるから聞いてほしい」と言われて、謝罪を受けた。
内容はわたしの心に留めておくけど、
彼女の目を見て思ったのは、
嘘はついてなさそうだな、
もう一度くらいは信じてみてもいいかな、ということ。
すぐに信頼関係が戻るわけではないけど
話す相手を間違えることは誰にでもある。
それはわたしも彼女も同じなわけで
それに話す機会を作ってくれたこと。
自分の言動を反省して、わたしから逃げずに、真摯に、正面からぶつかって来てくれたこと。
疑ってばかりの人生より
やっぱり相手が誰であろうと基本は信じたいじゃんか?
相手を信じたい、相手を信じる自分を信じる
自分の気持ちの基本はそこだなって
人間誰しもが間違えることもある。
そりゃ間違えないのが一番だけど
ロボットじゃないから無理だし
感情があるから、一筋縄ではいかない
間違えたときにどう動けるか。
これが大切なのかなって
そして、こうやってわたしと向き合ってくれる仲間がいて、その人と出会えたということは
自分の人生にとって大きな財産だな、と思う
たとえ、ずーっと関係が続かなくても
その時その場所で向き合ってくれる人がいた
ということは奇跡だなと
最後まで読んでいただきありがとうございました