一年前の2月21日。
朝一に病院に行っていた。
「ん~、まだだね。」
そう言われた。
いつ産まれてもおかしくないと言われてから結構経つな…まだかな…準備万端だしいつでもいいよ…早く会いたいな…と思いながら緊張感はなかった。
結局予定日の27日までいくのかもなーとも思った。

病院後に買い物していたレシートがでてきた。(思いだすぅ~ぅ。) 




そのまま帰宅し、今まで緊張感ある生活してた夫も、「まだか」とパチスロ行きやがって(こんな時に本当サイテー!!休みの日くらい一人にするな!!)
と私は一気に不機嫌で、淡々と家事をこなし、よくイイ!と言われているぞうきんがけなんかしてみたり、動いてみたりしていた。

いつもの様に機嫌悪く八つ当たり気味に帰宅した夫とは口を聞く気にもならない、むしろ怒ってる私は、「パスタでも食いやがれ!」と作ってる時になんとなくお腹痛いな…と思っていた。

その後、やっぱ痛いな…一応書いてみよっかな。と殴り書きなメモをしてみた。


ん?ん?
出血!?

仕方ない、口を聞こう。と仕方なく「陣痛きたかも」と言った瞬間、「荷物車乗せてくる」とかソワソワされ、「まだだから!」と怒ったのも覚えてる。

病院に電話するも、「まだまだかかりますから~5分間隔になったらまた電話下さい」と言われ切ったが、直ぐに5分どこじゃなかった(笑)
陣痛を感じてない私?みたいな(^_^;)

すぐに病院に向かった。
車に乗ると痛みも強くなってきた。
母に電話してるうちに病院着。0時過ぎだった。

陣痛室に着き、着替えて調べてみると4センチ。
「これ記入しといて下さい。ちょっと準備しときますね…」と言われ、助産師さんが戻ってくるまで2回ほどもだえた。
これ30時間とか絶対ムリー!!!!!と思った。

戻ってくると、さすられながら問診。
「今回、3回目の採卵、顕微受精での妊娠出産ですね。」
「ご主人は現在も治療中で投薬中、お薬持ってきてますね?何飲んでますか?」など細かく言われて激驚き!
そうこうしてたら8センチ!!!!
助産師さんも焦る(笑)

旦那さん部屋から呼んで~とバタバタしだし、こらえなくえいいから!力入れてー!ってもう?みたいな。
分娩台移動しましょう!ってもう?みたいな。
着いて30分程度でここってすごくね?(笑)

しかしここからは私の中では長く、産道が狭くて降りてこない。
(プニプニお肉がお邪魔で) 
あれこれやって結局、看護師さんが上に乗り押してもなかなかだった。
私、足の台を踏ん張っていいのか?と今更知るf(^^;

そしてついに誕生!となったのです。
2月22日2時40分。
3時間14分でのスピード出産。
出てきた瞬間は実はそこだけ記憶なくて、夫に後から聞いたら、赤ちゃんはすぐ泣いてたとの事。

お腹の上に乗せてもらった瞬間に溢れる涙で見えなくて、ワンワン泣いてました。ホーッとしたー!!の安堵感がパナイ。
こんなに温かくて重いんだ?と大感動!
今でも思い出して涙。
綺麗にしてもらった赤ちゃんを抱きながら可愛くて不思議で、産んだんだ…でした。

そして朝を迎え、夫は一旦帰宅し、私は検診だのが始まり休息。

が、スピード出産だったので出血多めになるとは言われてたが、ボトンと。
ナースコールで呼び、対応してもらい、またもボトン。
結局エコーで見て調べてみることになり
再び分娩台に乗るという…
すると、胎盤がまだ残ってて緊急オペ的になり、ビックリするくらいのスピードで看護師さんとか沢山やってきて、あれこれつけたり点滴したりして私を一周。
もう一度切開しつつ取り除く作業をしました…また陣痛だの、子宮収縮だの起こしてね…激痛(TT)私はお産よりこっちの方が辛かった…
尿道に管を入れて尿はオート。ベッドで安静生活となってしまい、処置中に来てた夫や母も驚くという。 
それでも鉄剤は退院後まで続いたが翌日には赤ちゃん同室が始まり4日間で退院しました。

また伝説つくってしまった… 
看護師さん何回も来てくれたり、歯磨きまでさせてくれたり、いっぱい優しくしてくれました。 

そんなこんな私のお産。
1年経ってもクッキリ覚えてた。

は~っ。あれから1年か~。 
早かったな。
今夜は興奮して寝れなそう(笑)

自分の誕生日より我が子の誕生日の方が数十倍嬉しい。 
先日、夢で通っていた産婦人科にいた。
今後の相談の診察にきていた。
とてもリアル…

現在夜泣きで起こされるのでそれで目覚めて夢だとわかったんだが、実はそんな日は遠くないので考えてたら朝がきた。

まだまだ小さく幼い長男も産まれて1年。初めての事に追われる毎日なのに、次を考えねばならない現実…
年齢の壁は待ってくれないどころかグイグイ攻められてる。排卵止まってー待ってー…

本当は内密な話しでいたい気もあるんだが、記録しておきたいのもあるのでここに記事にしておくとします。

息子の受精卵と同じく採卵できている卵が胚盤胞で凍結してあり、試験管1本で凍結してある。
それをお迎えする予定で…
42歳までに…
時間ない…
 
私はてっきり2つ同時にしか移植できないと思ってたら、どうやら別々でもいいみたい。
となると、1つ戻して妊娠できたとしたら、第3子まで考えられる!という事も…

まあ、そんな簡単で運のいいお話はどこにもないと思うけど、どうなるのかなんてわからない。
奇跡は起こしたからね。

1つ戻して失敗したらもう1回戻せる。
もしくは2つ同時に戻す。

悩んでいる…

双子確率があがる…

それはかなり嬉しいが残念な結果にもなりかねない。

1つ戻して妊娠出産できたら次は望まない、望めない可能性もある。
我が家に3人はいいよ…と夫は前に言っていた。
そうなると1つ破棄なんていうことも。
私はそれは避けたい。命の選択というか、可能性がなくはないから凍結していたんだし、既に愛情があるというか。
私にとって、今いる息子含めて大切な3つの受精卵なのです。

自然妊娠の人にはわからないと思うけど、どれだけ大変で大切な1つで、重みのある素晴らしいものなのかを知ってしまった以上、責任というか、最後まで愛情こめて育てたいと思うんです。
それをポイと簡単には言えない…
変な話し、私は息子の受精卵が私のお腹に移植されるのをリアルに画面でみているのです。
だからこそ不思議で神秘的。

でも、1つずつでを選んだとしても、42になってしまう…
この42歳というのは、東京都に助成申請できる年齢です。(治療開始年齢によって違います)
なんせ高額な世界なので、助成なしではもう我が家にはない…

2つ同じグレードで息子のより低いし、確率は低い。
それをどうするのが一番なのか…

この2つでダメだった場合、もう採卵もしないと決めてます。
ここにかけるお金より息子に残したいし、夫は「もうおまえの苦しい大変な姿は見たくない」と言ってるし。
なにより奇跡の息子いるし。十分。
けどね、夫は女の子ほしいんだよ(笑)
この移植でダメなら自然しかないけど、自然は無理だよ…だよ…だよ…

でもなぁー私も欲しい。妊婦になりたいと産後1ヵ月くらいにもう思ってしまった。
私にとって妊娠期は幸せだったなーと後から感じた。
私にもできた!感があったんだと思う。

最終的には先生の判断に任せようとは思ってるけどどうなるのかなぁ。

育児に終われて自分メンテできてないけどしないとだ。
葉酸飲んでる?絶対言われちゃう(笑)
ノンカフェも完全でなくなってるしなー。やっぱ美味しいもんね、珈琲に紅茶に緑茶!
でもこうして考える様になってきたし、これきっかけで…



ずーっと記事にしたかった事、息子の誕生日までにはしよう!したいな。。。
あけましておめでとうございます。
 
アッという間に日々経過し、2018年になってました・・・
年越しはゆっくりできるだろうと思いきや、ボクチャンこんな日に限って寝なくて、元気いっぱい22時過ぎまで遊んでてね。(-ω-;)
 
いーっぱい記事にしときたいのあるのにまったくもってそんな余裕はなく。。。( ´△`)
本当は11月中に全て終わらせて12月は余裕かましてアレコレやろうと思ってたのに、ボクチャンが原因不明の蕁麻疹にかかったり、お風呂が壊れたりしてバタバタしてたら12月に突入。
ウチで早めのX’mas会をして(しといて本当よかったー)、そこからケーキ三昧が続く・・・
nao家にお邪魔してプチX’mas。ここまでは良かった!
 
が、その後ボクチャン風邪をひき、楽しみにしてたX’mas会前日に発熱で欠席。Σ( ̄Д ̄;)
色々準備してたのに残念だし、24、25日も連休とってた夫もダウンして、なーんにもないX’mas。
年末までに完治させなきゃーと、25日再度小児科行くも、2時間待ちで返ってダウンしそうという・・・
もう本当思った。
出来る時になんでもしておこう!と!前倒しでね。
いつダウンされるかわからないねー子供って。
 
そんなボクチャンですが、風邪ひいても元気にしてたし、熱出してもすぐ下がったし、今まで病気もなくすくすくと10か月になりました。
nao家のボクチャンに会ったら気が合うのか、寄り添って遊んでて、追いかけてたら、その後ズリズリが前方にいく様になって、そこから急成長!お座りもあと一歩で完璧なところです。
相変わらず大きい子だが(笑)10キロで止まり横ばい。
縦に伸びろ~伸びろ~。歩け~と言いたいところだが、歩いたらもっと目を離せないだろうから、ゆっくりでよし!マイペースでよいよ!
 
↓ ちょうど横向いてるので採用。(笑) 元旦、義理実家にて。

 

子育ては大変だけど楽しい(^-^) そうだんだん思える事が増えてきたそんな1年でした。

去年の今頃は~と、常に思った年でもあったなー。

その前の年は~というのも私は常に思ってた。

本当不思議。そして感謝。

 

去年の冬はお腹パンパン!キックを肋骨折れたと思ってた程蹴られた冬。

一昨年は体外もできないと言われて激凹みで年内何もできなくなったお正月。

なんだろうね、本当、この出来事、気持ちは永遠忘れないんだろうな~。

 

そして今年は・・・次への一歩といけるかな。

2018年、家族みんな元気で健康であります様に~☆

 

 

じわじわ更新していきます。たぶん。

 

あ、アタシのインスタ、タイムラインがぐちゃぐちゃでおかしい。バラバラで読みづらくて断念。(^-^;