優れた日本画は色も線もとても、淡く細やかな極みの美だから、写真に写しても、そのものはうつらないのだと、知りました。そのときに、その記憶に、やきつけるしかないもの、だからなおさら、愛おしいもの。花、鳥、風、月。

近現代詩・短歌は花鳥風月を、批評し否定し克服することに近現代の新しさ、モダニズムを主張しましたが、根絶やし新奇を衒(てら)うのではなく、学びつくして根づかせ繰り返し浮かびあがらせてこその、泡の、花、虹が、芸術創作者の天命だとわたしは思います。

現代小説散文に思うこと
・優れた作家にはメッセージがある
・構築力、ストーリー性がある
・饒舌にわかる言葉で表し尽くすので言語美はない
・人間だけの生活空間に狭く閉ざされ、犬猫はいても他の生きもの草木花虫小鳥魚がほぼいない
・刺激的意外性派手さのあるドラマ醜露悪衝動に傾きがち

詩の本質可能領域は余白美余韻淡白儚い言語美。この逆。 現代詩とこの数十年間呼ばれてきたものは、現代散文崩れ、散文まがいなので、現代小説に劣る。 詩は、今もむかしも、詩でしかなく、詩の可能性に咲けばいい。

映画脚本にも映像でも表せない何かに満ちているほど小説として豊か。優れた小説ほど映画化するとつまらないのとは逆の意味で、映画にそのままなるような言語表現の深度は浅い。

なら、オマエが書いてみろよ、といわれたら。わたしは脚本家にも小説家にもむいていない、そのために不可欠な細部具体描写、物の構築、ドラマ、ストーリー展開、事件趣味、現代性への執着がとても希薄で、わたしにはわたしにしか書けないもの、詩、歌があると書きつづける試行錯誤のなかで知りました。