5年たって… | 【岩手県宮古・盛岡 】心と身体のリラクゼーションフットケアサロン☆足養香

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『足と香り』に特化した、足の健康とリラクゼーションを目的とした様々なメニューを御用意しております。

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【岩手県久慈・盛岡・宮古】植物の力で癒し隊☆アイですおねがい

昨日は東日本大震災から5年でしたね。
5年…当時のことを書いてみようと思います。

5年前は盛岡にいて、結婚したばかりで、ちょうど寿退社を年末にして、11階のマンションに一人いました。

洗濯物を畳みながらミヤネ屋をみていたら、聞いたことのないアラームが聞こえたと思ったら大きな揺れ。食器棚が激しく揺れ押さえにかかりました。倒れていたら下敷きでしたね( ̄▽ ̄;)

11階ってかなり揺れました。かなりのパニックになりました。そこからは停電&断水生活で、キャンドルとラジオだけが頼み。
旦那はなかなか帰ってこれないし不安だらけでした。とにかく、避難グッズを作らなきゃとせっせと準備したのを覚えています。


何よりも実家が宮古。家のある場所までは津波がこないと思いましたが、姉は海の目の前の職場だったので、地震直後は連絡とれましたが、その後連絡がなくなりかなり心配しました。
運が良く山の方へ危機一髪車で逃げれて、しばらくしてから家族の安否がわかりました。


電気が復旧してお店が始まってからは、私はまず自転車を買いにいき、そこからは自転車でスーパーめぐりをしてスーツケースいっぱいに非常食になりそうなものを買い集め、一週間後くらいに宮古入りしました。

育った地に何が起きているかわからず、ただ、大変なことが起きたんだって認識だったと思います。

とりあえず、宮古の避難所へボランティアへ通いました。
つい最近まで看護師をやっていようが、保健師の資格を持っていようが保健師として仕事の経験がなければ何の役にもたてず。地元の高校生と一緒にリンゴの皮むきをする日々でした。

盛岡へ帰ってからは、盛岡の避難所へボランティアへ。
看護師としてボランティアを募集していましたが、保健師として仕事をしたことがないと意味がなく、子供と遊ぶとか、ただ行って何もしない時間ばかりでした。
前の職場は、災害時派遣されるところでした。最近まで一緒に働いていた方々は被災地にいって活動していました。

自分の育った地が大変なのに…
知り合いが大変なのに…
みんなが、困っているのに…

ボランティアにきていてもマッサージとかできる人は必要とされていました。
看護師や保健師の資格をもっていても、私は何もできない…
ボランティアすごいね、えらいねと言われました。
でも、全然スゴくも偉くもなかった。

私は盛岡にいて仕事をしていたわけでもない、結局世の中のために何もできていない罪悪感と無力感でいっぱいでした。
今もその感情をひきづっているんだと思います。

生きていられるありがたみを感じるべきなのに。。。


今は二人の子供を授かって、守るべき存在ができて、守るという使命感みたいなものだけを思います。


人それぞれ色んな経験をして色んな思いをしたと思います。

私にこれから出来るのは子供達にもちゃんとどんなことが起きて、もしもの時にどんな対応をすべきかちゃんと伝えておくことなのかなぁ。


なんだか暗ーくなってしまいましたが…

まずは生きていることに感謝ですね‼被害に遭われたかたのぶんも、精一杯日々過ごしたいと思います❗