~愛の一行詩~ -12ページ目

~愛の一行詩~

私も見知らぬ貴女に支えられて生きている

 霊界は 黄金色だった

だから 人は黄金色が大好きなのだ

私は 仮死状態で 4日間寝ていた

これは 私の体験記

右から 左へ 多くの人が 橋を渡っていた

家の中の 電源が 全部外れていた

これは 本当のこと

 以降 病が連続・・・今も続いているが

あいかわらずの 能天気

音楽 文学 歴史 哲学だと

周囲の人を 困らせている
 言葉だけでは 人を救えない

世界の信仰組織が 衰退した原因のひとつ

組織を 己の欲望のために 使う・・・悪を行う者の隆盛が

世界の人々を苦しめる

弁護士 法務関係者 厳しく資格問わなければ・・・

 日本の人は 優しき人が多い

故に 厳格審査が 問われるべきだ

異国の民に 資格与えてならぬ

金銭貸付業務 法務業務 不可・・・

差別じゃない 育ちが人をつくる

 現実 深く 見詰めよう

今が そのとき・・・ 
 若さ 見た目の綺麗さは

本物じゃない

人は 努力 品性 人格身に付けて

美人・綺麗ねと 誉め称える

それには 80歳越えなければ・・・

 人は 身のこなし

言葉使い 謙虚で 美しき人と言われる 
 出来ない やれない

守れない・・・言い訳人生 波乱の人生

 私には 愛する人がいる

いるならば 守って見せよう 我が人生の全てを賭けて

言葉だけじゃない

身心鍛えて 貴女に この命捧ぐ

それが この國を守ること

世界の平和に つがらぬと

決意あたらに 愛の人生生きます

改めて 誓い 貫き通します 
 僕の生まれは 樺太の豊原だ

樺太のロシアとの 国境近くに住んでいた

戦争終わった時 ロシアの赤軍の兵士が土足で 乗り込んできて

父は 連れていかれた

父は 元警察官僚 

 僕も 簡易収容所に入れられ 閉じ込められた

ご飯は お湯で 煮込んだ 人参・・・

毎日 食べさられた

引揚げ船で 函館に・・・

 父は 几帳面で 船内の簡易トイレの掃除を 自ら志願しやっていた

東京の「昭和館」に所蔵されている 人名録に記載されている

警察官僚では トップ だがノンキャリアのため

退職後は 田舎の町長ばかり 

お蔭で 豊原市長のように シベリア送りにはならなかった

 僕は 父の顔を 覚えていない

輪郭は 思い出せるが 顔は空白だ

清潔好きと 困る人を見かけたら 助けずにいられない

これは 父親 母親似・・・

 ロシアの爆撃機が 焼夷弾を落とした火中にいたこともある

続きは またの機会に・・・