幼き子の 戦争体験記・・・ | ~愛の一行詩~

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私も見知らぬ貴女に支えられて生きている

 僕の生まれは 樺太の豊原だ

樺太のロシアとの 国境近くに住んでいた

戦争終わった時 ロシアの赤軍の兵士が土足で 乗り込んできて

父は 連れていかれた

父は 元警察官僚 

 僕も 簡易収容所に入れられ 閉じ込められた

ご飯は お湯で 煮込んだ 人参・・・

毎日 食べさられた

引揚げ船で 函館に・・・

 父は 几帳面で 船内の簡易トイレの掃除を 自ら志願しやっていた

東京の「昭和館」に所蔵されている 人名録に記載されている

警察官僚では トップ だがノンキャリアのため

退職後は 田舎の町長ばかり 

お蔭で 豊原市長のように シベリア送りにはならなかった

 僕は 父の顔を 覚えていない

輪郭は 思い出せるが 顔は空白だ

清潔好きと 困る人を見かけたら 助けずにいられない

これは 父親 母親似・・・

 ロシアの爆撃機が 焼夷弾を落とした火中にいたこともある

続きは またの機会に・・・