学生時代 音楽評論家を目指した
当時は 村田武雄先生 志鳥栄八郎先生 野呂信次郎先生・・・他 多数
雑誌も レコード芸術・ディスク・LP手帖・音楽芸術が毎月刊行されていた
音楽に向き合う真剣さを この目で見た 感動した
だから 大学は楽理科に入りたかった
芸大は 今も昔も 伝説の人で あふれかえっていた
どんなに 貧しくても良い
音楽の感動を 評論を通じて 共有したかった
母は そんなものにと 反対した
諦めないで 仕事のかたわら 音楽会に出かけた
日比谷公会堂で ヤンソンス指揮 東京交響楽団
チャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」を聴いた
第二次世界大戦 レニーグラードの戦い
厳寒の中で 演奏が行われた
ホルンの音は 同じかな・・・暖房もない建物で 鳴り響くホルンの音は
天上に昇った人々 その家族の涙の音に 似ていたに違いないと思った